2007年06月17日

6月17日 父の日に思う

今日は父の日ですね。母の日ほどインパクトはありませんが、毎年家族とのささやかなひとときを過ごすとき、ありがたい慣習に感謝しています。私は封建的な古い考えをもつ、明治生まれの養父母に育てられましたので、暦の上での風習的なお祝いはあっても、バースデーとかクリスマスとか、ハイカラなお祝いごとにはほとんど無縁でした。片田舎でもありましたので、家族が揃って外で食事したこともありませんでした。経済的には豊かな範囲だったとおもいますが、自宅で食事せず街の食堂で食事するなんて、不謹慎といいましょうか悪と考えていたのじゃないでしょうか。なにせ養父母は、大日本帝国の教育を受け、しかも文化の遅れた薩摩地方でのことですからやむをえません。それでも一度だけ家族以外からではありますが、誕生日のお祝いをしてもらったことがあります。それは・・・。

昭和29年10月のある日。私は戦後創立された西光寺幼稚園の一期生として、同じ年齢の仲間と園内にいた。桜組で一年間の園児教育の後半を過ごしていた。聖母ほどにやさしかった山本先生から、「今日は10月生まれのお誕生会ですから、コウゾウ君も出るんですよ」と声をかけられた。なんのことかはっきりわからないが、うれしいことであることはわかっている。そしてその時刻広間に入った。その一角に折り紙などで飾りつけられた席があって、すでに数名のお友達が席についている。歌もなければご挨拶もない。そして食事が運ばれた。アルミ製の食器に白いご飯が盛られ、そのご飯の上に・・・、

なんなんだなにがお祝いなんだ、いつも食べてるものと同じじゃないかと思った。私の養父はかつおぶしの製造はんばいを生業としていた関係で、私もかつおぶしに囲まれて育っている。だからおやつ同然にかつおぶしを食べてきた。おかずのないときなど、けずりぶしに醤油をかけ、ご飯の上に敷き詰めて食べさせられたものだった。
その養父が食べさせたものと同じものが置かれている。「エッ、これをいただくのがお誕生会なの」と望みを失った。でも食べなければいけない。箸でご飯とかつおぶしをつまみ、口に入れた。「ウワッ同じあじだ」、一瞬に養父の顔が浮かんだ。同じものを食べるのだから、同じ味がして当然。
今思えば、私は幼いころからお祝いの席で出されたものを食べていたのだから、ごちそうを普通に食べていたことになる。そんなふうに思えば、養父という父に感謝しなければならないだろうか。その養父は、昭和56年に没し、作左衛門(さくざえもん)と名乗り、さっぜさんと呼ばれていた。
posted by さっぜさん at 09:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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