2007年07月10日

7月10日 ショートストーリー9 遠い日の晩夏

通信      チトフナプライベート書房
送るひと    町頭 幸三
だい      ショートストーリー9「 遠い日の晩夏 」



鹿児島県星空市。東シナ海を臨むこの町は、日本の南の終着駅として鉄道ファンの注目を集めている。JR鹿児島中央駅から黒潮西線(くろしおさいせん)で2時間30分。海沿いを時速最適キロメートルで、車体をきしませながら、南へそして西へ向かう。水無月も中旬の夕刻6時9分、二両編成の黒潮西線パートU海っ子2号は、星空駅の無人ホームに到着した。白いボディーにブルーラインなんて、東京神奈川間の小田急線を連想させる。
私は東京都狛江市から一時帰省し、もう十七日目を数えている。東星空十番地という町名番地の四回自室の上げ下げ窓から、西日に照らされたホームを、このところ毎日見ている。この時刻の列車なら、多い日で10人前後、少ない日なんて3〜4人だったろうか。それも、老人や男子高校生が目だっていた。まばらな乗客の黒潮西線を、人体に例えるなら、足のつま先を流れる血管にも似た、日本の最末端のローカル線といえる。さびれかけた南日本の終着駅の、寂寥感を感じていた。それが今日に限ってどうしたことだろうか。いずれも浴衣姿で、十台半ばと思われる女性二名が、ローカル列車から降りて、熱っぽく語り合いながら、ホームを歩いている。もちろん会話が聞き取れるはずもなく、ただ涼やかな浴衣の夏の装いに見取られ、妙に行き先が気にかかる。
二人は仲のいい姉妹なのだろうか。二人とも同じ絵柄で、白地に赤と水色の花模様が染めぬかれている。季節的に朝顔ではと思うのだが視認できない。盆踊りにせよ納涼花火にせよ、時期がまだ早すぎる。二人はホームを離れ、中世ヨーロッパのアムステルダムのたたずまいをイメージしたという赤レンガで整えられた駅舎を出てくる。私の真下を通り、北へ去り、二人の姿はすでに見えない。下駄の響きだけをかすかに残しながら。
浴衣というと、これからの季節の風物詩であるばかりでなく、和的ななにかの芸ごとの稽古着のほか、夏場の寝巻としても重宝このうえないものだ。
その浴衣なのだが、あんなことがあってからもう45年になる。揺らめく陽炎のような、なんとも不思議な思い出であろうか。そして今でも、セピア色に変色した、モノクロで写されたライカ版の二枚の古い写真を大事にしている。その写真は・・・・。


私の父は上野小太郎といい、昭和37年8月、複雑な内臓の長患いで私立病院の病床にあった。私は中学一年生の夏休み期間中でもあり、自宅と病院の往復が常だった。入院当初まだ元気そうだった父も、ここにきて生気を失い、口数も少なくなってきている。そしてその父が、私を説き伏せるように話し出した。
「なあ誠二郎、お前だけに頼みたいことがあるんだ、頼みを聞いてくれるよな」
「ああ、でも俺でなきゃだめかい。かあさんや正一郎兄ちゃんじゃあいかんのか」
「ああ、いかんのじゃ。お前のツラでねえといかんのじゃ」
父には妙に切迫感があり、なにか私にすがるような気持ちが伝わった。
「ああなんじゃろ、どげんすればよかじゃろ」
「いいか二人だけの内緒話じゃ。簡単なことであって難しいことなんだが、父さんが着る浴衣を買ってきてほしいんじゃ。高台の仰星本町に、フジイという呉服屋さんがあるのを知ってるじゃろ。そこへ行って買ってきてくれ。だけどじゃ、ご主人とか、店員さんとかから買ってはならん。必ず奥様から直接買わんといかんぞ。わかったな」
エッ、いなかったらどうする」
「そんときゃ出なおせ。父さんの身体は、160センチの57キロと言えばよか。色とかガラとか、なんでんよか。そしてこう奥様にお願いするんじゃ。一度でいいですから、奥様に袖を通してください。通していただいたあとで、買います。とな」
「そんなこと言えるわけがなかよ」
「そこを勇気をだして言うんじゃ。こんなこと頼めるのは、誠二郎お前しかおらん」
怖い顔になった父にかなうわけがない。私は、渋々うなずいた。
「5千円ある、足りるじゃろう」
父は私に千円札5枚を手渡した。初めて手にする大金だった。百円札が急に小さなお金に見えた。
病院から呉服店まで約2キロ。急いだ。


仰星本町のフジイ呉服店。直近まで来たものの店に入れない、入りづらい。ただ浴衣を買うだけならたやすいことなのだが、おまけなことがついている。こんなこと予行演習のしようもなく、ただうまくいくことをなにかに祈り、正直にお話するのみ。おそるおそる店内に・・・・。
畳を敷いた広い座敷があり、若い女の店員さんが、客であろう年配の奥様らしき女性と話していた。私は口が動かず、棒のようにたっていただけ。
「いらっしゃいませ、なにか」
と、声はかけられたものの、私は言葉が出ない。それでもどうにか
「あのう、ここの奥様に・・・・」
いぶかしげな顔で店員は私を見て、「奥様にご用なの、なんの用なの」と聞き返した。私のような中学生が客に見えるはずがない。それでも用があることだけはわかったのだろう。店員は、奥に通じる暖簾を押した。
同時に奥様とわかる女性が現れた。着物姿ではなかったが、お化粧をした小奇麗なひとだった。たぶん父とは同世代ではなかろうか。
「僕はなんの用なの」
やはりいぶかしげに聞かれたものだ。もう正直に話すしかない。
「あのう、父親の浴衣を買いたいんです。浴衣だったらなんでもいいんです。160センチの57キロです」
「アラアラそうだったの、いま用意しますからね、そこにおかけなさい」
やさしくうながされた。
「そうね、Mサイズでいいでしょう。いくつかあるけど・・・・」
奥様は、棚からビニールの袋にはいった涼しそうな浴衣を三種類見せてくれた。
「どう、お父さんはどれが気にいってくれるでしょうね」
私は恥ずかしかった、苦しかった。それでも父のためと思い、
「あのう、父が・・・・、奥様に袖を・・・・袖をとおしてもらってから買ってこいと言っていました」
「エッ・・・・」
「・・・・すみません」
私は小声で誤り、下を向いた。奥様は私の顔をしげしげ見つめ、
「ねえ僕、僕のお父さんの名前はなんておっしゃるの、おうちはどこなの、おばさんに教えて」
なにかを諭されているような気もしたが、なにか訳ありのようなものを感じてもらえただろうか。
「東星空十番地の、上野小太郎といいます」
きっと私の父を知っていたと思う。奥様の顔に微かな笑みを感じとった。
「アラアラそうなの、それでお父さんはおうちで待ってるの」
「いいえ、市立病院にもう長いこと入院しています」
ボソボソと応えるのが精一杯だった。奥様は何かを感じてくれたのでしょう、私をかばってくれるように、
「僕は靴を脱いで冷たいジュースでも飲んでいきなさい。さあ上がって」
思いがけないことだった、私を迎えてくれる。もううんと恥ずかしく照れくさいことだったが、いわれるままに。お店から中にとおされ、台所のある畳の部屋にきちんと座った。奥様は冷蔵庫からサイダーを取り出し、栓を抜き、コップに注ぎ、丸いちゃぶ台に置いてくれた。
「これ飲みながら待ってるのよ、すぐきますからね」
そう言い聞かせ、浴衣のひとつを手にし襖を開き、奥へ消えた。サイダーが冷たかった。家庭の電気冷蔵庫なんてはじめて見て、その冷蔵庫で冷やしたものをはじめて飲んだ。炭酸が喉を締め付けるように刺激する。なにか目の奥まで刺激されたような気がする。5分ぐらい過ぎたろうか、襖が開いて、浴衣を着た奥様が立っている。私には、テレビで歌う橋幸夫のような絵姿が連想された。母には見られない凛とした着こなしで、その世界にはまった姿を見た。いなせな着こなしなんて、こんな様子をたとえるのだろうか。
「もう少し飲んでって、おばさんもいただくから」
こうしてさらに10分程度おじゃましたろうか。私には兄がいて、中学一年であること、そして父の病状について、聞かれるまま応えた。
「おばさんも少し汗かいたみたいだから、襟元にお花の香りをつけといてあげるね。またここで待っているんですよ」
奥様はその浴衣姿で奥の部屋へ。白地に青色の扇をいくつも散りばめた、舞台の衣裳で見るようなものだった。女性なのに、角帯というんだろうか、男ものの帯姿でさえサマになって似合っていた。そして病室の父の様子をふと思い浮かべたとき、奥様が戻られた。はじめの洋服姿で戻り、浴衣をたたみなおし、ビニールの袋におさめ、紙袋に入れて私に渡した。
「いい僕、さっきおばさんが着た浴衣がはいっているから、お父さんにわたして。お金はいいから、早く元気になって退院してくださいと言っていたと伝えてね」
「エッ、お金はあるんです」
「いいのよ、おばさんからのお見舞いよ。帯も入れといたから、すぐお召しになれますよ」
私はこれでいいのかと迷った。でも、そんなふうにおっしゃるのだから、そうするしか。奥様にもせかされ、一例だけしてお店を出た。夏のヒリヒリするような日差しも和らぎ、たそがれ前の穏やかな潮風がにおい、沖にそびえ立つ立神のお岩も、岩戸のお山も赤く染まりはじめている。肩の荷も胸のつかえも降りたのか、足取りも軽く病院へ。 

父の待つ215号室。父の耳に私の弾んだ足音が聞こえたろうか、予感がしたのだろう、父は私が帰り着くことがわかっていたかのように、ベッドに正座しながら迎えた。そのときの私の顔は、満面の笑顔だったはずだ。父も笑顔だった。私は袋ごと渡し、
「ちゃんというてきたぞ、きれいな奥様じゃった。浴衣を着てくれてな、一緒にサイダーまで飲んだぞ」
と、誇らしげに伝えた。父も私の両肩を掴み、「ようやったのう、ようやったのう」と、褒めてくれた。
そしてそのときのことを、一部始終話した。要領を得た話し方ではなかっただろうが、覚えていることの全てを話した。父は浴衣を膝の上に置き、何度も何度も指で撫でるように触りながら聞いていた。無愛想でぶっきらぼうな父で、オセンチな表情など似合いもしない男だったが、涙を目にためている。奥様からのお見舞いだからといわれ、いただいたことを話した瞬間、こらえきれず声と涙があふれた。
私にはそのときの父の感激のすべては計り知れないが、あの綺麗で上品な奥様に寄せる思いがあることはわかっていた。これ以上この病室にはおられない。帰ることを告げ、ドアのノブに手をかけたとき、誠二郎ありがとう、金は好きに使え」と声がかかった。ズボンの後ろポケットにしまったままのお金をまだ渡していない。ただうなづき、ドアを閉めた。殺風景で消毒液の染み込んだ病室も、今だけは、大人の香水がささやくように揺らめき誘いかけている。どこか遠い国の、髪の色の違うひとたちが暮らし、十二色に咲いてかぐわしい花園のような・・・・。

そして二日後、お医者さんから、「家族や親戚は集まりなさい」との連絡があり、母と兄と私、そして叔父が揃って病室に。父はいびきをかいて眠っていた。あの浴衣を着ている。私は毛布の中に手を入れ、腰の帯を確かめた。しっかりとあの角帯を締めている。母は浴衣についてなにも不自然に感じていない。病院からのサービスぐらいにしか、感じていなかったのだろう。私は少しばかり優越感を感じた。
カメラ好きの叔父が、父の寝顔と、家族三人での写真をとってくれた。もう長いことはないのだろう。どんな夢を見ていることやら。自分だけのいい夢を見てくれ。
そして翌日、息を引き取った。死因は膀胱ガン。8月29日の夕刻のことだった。

いま私はこうして生まれ故郷にいるが、あまり外出していない。だから詳しい町の様子もわからない。仰星本町の今の様子もわからないが、20年前、あの呉服屋さんの前を歩いたとき、お店はすっかりおしゃれに立て直され、あのころのよすがはない。当然代替わりしたのだろう。
わたしは二人兄弟で、兄は母親似、そして私は父親似で、父親の顔のコピーなんて揶揄もされた。あのとき、兄が父親似であったなら、兄がその使いを頼まれたのかもしれない。
私も扇散らしの浴衣があれば着てみたいものだ。そうそう、葬儀屋さんから、「お召し物ヲを取かえましょう」とうながされたが、私が拒否した。トンボの絵柄の浴衣だった。だってあの奥様からの、大事な大事な贈り物だったから。あの浴衣に勝る旅立ちの装束はなカッタハズダ。
あの奥様がご壮健でいてくれれば、ただひたすら嬉しい。年を重ね重ねて、すでに傘寿を過ぎておられよう。
粋なお取り計らいをありがとうございました、富士井礼子さま。


posted by さっぜさん at 13:33| Comment(1) | TrackBack(0) | 趣味のペン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7月10日 オシムジャパン

サッカーのアジア杯が、ハノイで始まり、日本が登場しましたね。1点リードしてましたが、なんとなく同点にされそうな不吉な予感がしていたんです。それが、終了まぎわ「あーあ、やっぱり」ということになり、ドローということになりガッカリでした。やはり逃げ切るためには、2点差ないと安心できませんね。
日本にはJリーグ、J2、JFLと組織的にも充実し、外人選手も多数かかえています。ですからハイレベルだろうと、つい錯覚しているんですね。でも、まだカタールには勝ったことがないといいますし、メジャー国になるにはまだ遠いことのようです。
疑問なのは、なぜ外人監督を迎えるのか不思議です。オシム、ジーコ、トルシエと日本語を使わない監督で、本当に監督ができるんでしょうか。もちろん、以心伝心だの、目は口ほどにだのといえましょう。そして長い合宿で、一心同体もつちかわれるでしょう。しかしどうなんでしょうね、契約がすぎてしまえば、自国に帰れば他人です。日の丸という共通したものを持ちません。野球のように、長島、王、星野というようにおなじみのヒーローさんがよろしいと思うのですが。
ところで、オシムさんはどこの国のおかただったでしょうか。オランダだったでしょうか。
posted by さっぜさん at 09:43| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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