2007年08月31日

8月31日 救急患者

奈良県橿原で惨い事案が発声しました。36歳の妊娠した主婦が、異常を訴え救急車を呼んだのはいいが、受け入れ病院のたらいまわしにより、流産してしまったというじゃありませんか。2時間以上も車内に取り残され、あげくにその救急車は交通事故の当事者になったというからなにおかです。あとでわかった話しとして、最初の県立病院では対応する余裕があったというから、怒りがこみあげます。
この主婦のかたも、なんとなく変わったおかたのようにもかんじられますが、救急隊という公的機関のレールに委ねられた異常、不手際は許されません。ややこしい手順をふんで、やっとのことで大阪の高槻の病院がOKしたのでは、遅すぎますし遠すぎます。私も救急車のお世話になったことは何回かありますが、そのたびに「いま病院をさがしています」ということをいわれます。要請した者にとっては、救急車イコール病院の入り口なんですよね。その救急車が動けないということであれば意味をなしません。
国や自治体は緊急に対策を講じ、事態の重要性や緊急性により、知事命令で速やかな対応ができるようにしてもらいたいものです。こんなスピーディーな時代に、電話で一件ずつ連絡をとるなんてそんなアナログなことをしてはいけません。臨場態勢の悪い病院には、行政的な処罰を課すなどしてもらいたいものです。
そういえばこんなこともありました。安心安全第一ということで、救急車を呼んで病院についたんです。そして寝ていたと思われる若い医者が起こされて来たのですが、大あくびばかりして診察しなかったというんです。そして診察料だけ1万円とったというんです。こんな医者がいっぱいいるんでしょうね。
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2007年08月30日

8月30日 一ヶ月検診

夏休みが終わりますね、暑い夏休みでしたね。なにか思い出になるようなことがありましたでしょうか。私には、このブログの「菜の花日記」のアイドル「なのは」ちゃんが誕生したことです。先月28日のことでしたから、ひとつきを過ぎました。今日は一ヶ月検診だそうです。かぼそく弱々しい産声でしたが、ひとつきのことで、おねえちゃまになったようで、力強い泣き声になりました。そしてこの頃は、「おっぱいを飲ませろ」とか「だっこしろ」なんて泣き声で要求するそうです。成長していくことや意思表示をするようになることが、不思議な気がします。生命と発育の神秘性に、感動させられています。
やがて幼稚園だの小学校だのと、女の子らしく振舞えられるころには、母親である私の娘の頃と、いろいろと比較しそうです。
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2007年08月29日

8月29日 ハンマー投げ

世界陸上大阪大会がたけなわですね。でもまだ、日本選手で目立った活躍をした選手がいません。一番期待されていたハンマー投げの室伏選手が、六位でしたから思うとうりにはいきません。
そのハンマー投げですが、最初はその言葉どうり、ハンマーを投げて競っていたそうですね。いつから鉄球を鎖につないで投げるようになったのでしょうか。確かにハンマーといいますか、金槌めいたものを投げたのでは、陸上競技としてはかっこ悪いですよね。それが今のようなスタイルとなって、グルグルとバランスよく投げるとき、見事な力強さはかっこいいものです。80メートル以上遠くへ飛ばすというのですからすごいものです。
そしてこのつぎは、北京オリンピックです。室伏選手は、既に代表入りを決めたということですし、アテネ大会に続いてゴールドメダルに輝いてもらいたいものです。
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2007年08月28日

8月28日 朝青龍

日曜日のお昼、民放の番組で、朝青龍の精神疾患による帰国希望問題を討論していました。ひとりは相撲評論家の杉山邦博さんで、もうひとりが衆議院議員の松浪健四郎さんでした。杉山さんは朝青龍の自己責任を追及し、松浪さんはスポーツの国際協会関連からでしょうか、朝青龍の庇護にやっきでした。
私の素朴な疑問は、「朝青龍は本当に病なのだろうか」という疑いです。腰の疲労骨折なんて偽りの診断書を提出して、巡業をボイコットしたわけですね。精神疾患という情緒の患いですから、誰にもなんともです。協会が帰国を認め帰国したなら、謹慎処分は意味をなくします。そしてここで帰国しては、弱い朝青龍になってしまいます。かなうものなら、帰国しないで部屋にこもり、鬼になって稽古し、来年正月場所で優勝したものなら国内もモンゴルも大熱狂することでしょう。
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2007年08月27日

8月27日 交番

立川署の巡査長が、してはいけないことをやってくれました。ストーカーを繰り返したあげく、最後は拳銃で無利心中ですから絶句です。報道内容によれば、「トモちゃん」と呼ぶなどして、相互にメールしてましたので、かなり根の深い間柄だったようです。拳銃を所持した警官だからということではありませんが。日本も確実に銃社会ということでしょうか。
今回の事件で感じるのは、警察内部の緩みでしょう。男女の問題は、いつの世も時代も複雑怪奇ですので、それほど驚きもしません。でも、警官が勤務を離れ、所在不明になってもそのまま放置していたというその無軌道を、容認したわけですから異常です。そして、事態の重要性に気づいてから大騒ぎしたんですね。これはもう監督者の責任です。交番には直接の監督者がいるわけですので、その機能が働いていません。「自転車泥棒をつかまえるのが交番のしごと」になってしまい、「その地域に役立つ交番」ではなくなっているということです。このことを思うと、警察行政そのものが間違っているということになります。たぶん皆様、パトカーは見かけても、夜の街を警棒をしっかり握り締め、街の悪人たちに一撃を与えるような、警官をみかけたことはないのではないかと思います。それが警官の基本の姿なのですが。
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2007年08月26日

8月26日 横田外務大臣

さあ第二次安倍内閣が組閣されますね。確かに一次内閣では、閣僚人事に失敗しました。そのフィナーレとして、就任したばかりの小池防衛大臣が、もう早々と退却宣言していますね。次官人事も含めて自信をなくしたのか、お金の使いみちで自分もやばいことをして発覚を恐れてのことでしょうか。「一兵卒になりたい」なんて泣いています。就任会見とは別人のようです。情けなくてゲンコツものです。にこやかに美人らしくほほえんでさえいればいいとでもお考えだったのでしょうか。
安倍一次内閣では、国民投票法、年金の遡及時効撤廃、公務員制度における天下り問題などいい働きもありました。でもいかんせん寂しくなる地方に希望を与えることができず、低迷しています。でも私は安倍内閣こそ、拉致問題解決内閣だと思っているんです。小泉さんは、3家族を連れ戻しました。安倍さんにはもっと大きな期待をまだもっているんです。いっそのこと横田滋さんを外務大臣に任命し、自ら北朝鮮に乗り込ませ、娘を取り返すよう国をあげてでもという事態をつくってもらいたいものです。
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2007年08月25日

8月25日 高円寺の阿波踊り

杉並区高円寺といいますと、阿波踊りが思いつきます。今明日実行されますね。私も仕事の関係で、その賑やかな様子を肌で感じたことがあります。
高円寺駅前のメインストリートでは、踊り自慢の男女が、人目をひこうと熱演するんですね。歌の文句ではありませんが、せめてこのときばかりはドアホウになりきっているようです。
本場の徳島からも応援のチームが参加し、熱気を一層盛り上げてくれます。ひとつのチームを「連」と呼びまして、その連が延々と続くんですね。見物人も最初は乗っていくんですが、だんだん疲れてきて乗りも悪くなるようです。それでも死ぬまでに、一度は見物しておいたほうがいいのではないかと思うわけです。
その高円寺駅のお隣が阿佐ヶ谷駅でして、阿佐ヶ谷といえば七夕祭りです。その七夕もとっくに終わり、高円寺の阿波踊りが終われば、杉並にも秋が訪れます。
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2007年08月24日

8月24日 桑田投手帰国へ

パイレーツの桑田投手が、来月帰国するそうですね。とうとうメジャーで1勝もできずキコクという無念なことでした。あと5年若ければ、もう少しなんとかなったのではという気がします。今後は、帰国してから考えるとのことですが、もう完璧に引退してもらいたいという個人的な感想です。
確かに200勝という大記録というか、大目標もありますが、39歳でメジャー挑戦し、戦力外の烙印を押されてしまったわけですので、もう充分なように感じます。これ以上日本で白星をあげても、それ以上に黒星もつきますし、防御率も膨らんでまいります。あとは背番号を変えて、これからの選手たちに、会得した術を伝授してもらいたいものです。
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2007年08月23日

8月23日 佐賀北の副島君

やりましたねすごかったですね、佐賀北の副島君。甲子園のフィナーレで、かつ土壇場でどうしてあのような神通力を発揮できるのでしょうか。常葉菊川の伊藤君のおおばけにも驚きましたが、その締めくくりにふさわしい超大型打ち上げ花火でした。
それまでワンサイドなゲームで、眠気まで催す気分になりかけていましたが、8回の裏、徐々に「もしかして」なんて予感を抱かせた直後の奇跡でした。いやもう最高のドラマを見せていただきました。なにか自分の不甲斐ない生き方に、球児たちから喝を入れられたような気がします。私もこれからの限られた時間を、自分なりに汗をかかなければいけません。
それにしましても、佐賀北高校という地方の公立高校がこのような結果を残すわけですので、知名度豊かな名門私立偏重に、一石を投じたことにもなりました。いいですね、地方が元気であること。
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2007年08月22日

8月22日 クレージーのみなさん

NHKの衛星で、なつかしの「ビッグショー」を再放送してますね。月曜日の夜、クレージーキャッツのショーでした。もう二ヶ月ほど前だったでしょうか、ザ・ピーナッツのショーを見て以来のことでした。
昭和40年代の番組ですので、皆さん若いですよね。そのクレージーの皆さん各人がそれなりのミュージシャンですから楽しめます。それでも一番の売れっ子は植木等さんでしたので、植木さん中心に進行していくのも仕方ないことでしょうか。私としては、安田伸さんの、クラリネット演奏を聴きたかったのですが、そうした独奏はなかったように感じました。なんとかしてコミック的なショーにしようと演出していましたので本格的な演奏は望めません。ハナさんのドラム、谷さんのトロンボーン、桜井さんと石橋さんのピアノ、犬塚さんのベース、そして安田さんのクラリネットですね。でも、なんとかその醍醐味の一端は楽しめました。
そんな頃から三十余年、亡くなられたかたが多く、谷さんをNHKテレビの大河ドラマで見かけましたが、あとのおかたで活動なさっておられるおかたはいるんでしょうか。
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2007年08月21日

8月21日 24時間テレビ

日本テレビ夏の恒例「24時間テレビ」が終わりました。今年のランナーは、萩本欽一さんがつとめました。もう66歳になるんでしょうか。若々しいですね。
私も5〜6年前に、日本テレビのモニターを担当していた時期がありまして、その都度長文の感想を書いたものでした。その時のランナーが、研ナオコさんでした。密着取材ですので歌手としての顔を離れ、素顔の彼女の顔が大写しされたりもしました。あまりの格差に「違う」なんて驚きもしました。それでもお仕事の範囲とはいえ、皆さんよく頑張って完走しています。そうやって頑張る姿を写しながら、視聴者に感動を与えているんですね。それはそれで結構じゃないでしょうか。その結果、募金額が3億円を超え、障害者団体に有難いプレゼントを贈呈し、感謝以外のなにものでもないでしょう。
私が気になるのはたった一点、「やらせ」の心配です。テレビ局とやらせは親戚のようなものです。過去にその事実を問えば、無数でしょう。もちろん事前の企画で知恵をしぼって製作するわけですが、事実にないようなことを仕立て上げたりしたり、ひたむきに精を出してる最中に、「今回だけこんなふうにしてください。感動のためです」なんてことのないよう、素顔のひたむきさや無意識な生の叫び声をとどけ続けてもらいたいものです。
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2007年08月20日

8月20日 絶頂甲子園

甲子園も佳境になりましたね。昨日の帝京と佐賀北の試合は凄いゲームでした。スクイズスクイズスクイズの三連続で、手に大汗でした。こんないいドラマはありません。よくまああそこまで守れるものと、舌を巻いてしまいます。ゲームですから勝敗はつきますが、全員が十台というかけがえのない「今」に勝っています。そのファイトで、自分の人生を突っ走ってもらいたいものです。
そして、17日の常葉菊川高校の試合にもシビレました。あの伊藤選手の代打同点ホームランです。あの場面、代打に出てホームランですから「なんという心臓を持つ男」でしょうか。前の試合にも代打で甲子園初登場で、タイムリー三塁打ですから驚きです。今日の試合が楽しみですよね。
もうマスコミで大騒ぎですから、私がどうこう申してもなんにもなりません。でもひとついわせて下さい。試合を決めた延長戦での打席、私はもう一発を期待しました。そんな私と同じことをアルプスでも期待したのでしょうか、名前がアナウンスされた瞬間大拍手でした。大声援はあっても、大拍手なんてそうざらにあることではないように感じるのですが。そして彼の一振りでさよならでした。なにかあのカリスマ性は、ヤンキースの松井秀樹依頼のような気がします。昨年のハンカチ王子のこともありますが、伊藤君は打者ということで別な魅力がありますし、しかも2年生です。
もうこうなれば、監督もフル出場させるでしょう。結果はわかりませんが、もう釘づけです。
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2007年08月19日

8月19日 第二の誕生日

私にとって昭和28年8月19日という日は、自分の代二の誕生日なんです。今日は平成19年8月19日、54年前になりますね。この日に私は、実父母を離れ、養父母のもとに入籍いたしました。それもその第二の誕生日を知ったのは、つい先々月の6月のことでした。つまり、第二の誕生日を気にしてなかったのですね。おめでたく鈍感に生きてきました。
大人たちの都合により、私の運命もかわってしまいました。私にとっていずれがよかったのやら。
たたひとつだけいえることは、実父母は故郷を離れ、神奈川で暮らし、私はそのまま田舎に残ったことです。私は都会が好きなんですね。しかも、東京の江戸情緒豊かな土地ならなおさらです。ですから子供時代からお江戸の雰囲気を、いくらかなりとも吸収できなかったことが悔やまれます。残念です。
それも運命ですね。よく宿命、運命、立命(りつめい)なんて申します。自分の努力で道は切り開かねばいけませんが、もうそのようなパワーも気力もありません。毎年8月19日になると、人生を悔やんだり腹をたてる日にでもしようかと。
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2007年08月18日

8月18日 トンボ

お盆も過ぎて、8月も後半になりました。なんでもシベリアの上空に低温の高気圧が控えているということで、少しずつ秋らしくなっていきましょうか。子供のころ、自宅の隣が野ッ原だったものでしたから、トンボの大群が流れるように飛び交っていたことを思い出します。「それっ」ということで、庭の竹ぼうきをもちだし、上からかぶせるようにしてつかまえたものです。でも私は生来、生き物が嫌いなものですので、気持ち悪くなってにがしたものでした。トンボなんて、ながめているぐらいがいいですね。ここ40年ぐらい前から、コンクリートの駐車場ですので、もうそんな情景はありません。
トンボといえば「赤とんぼ」でして、童謡のあの歌が即座に思い浮かびます。短い詞であり、メロディーです。三木露風さんというひとが詞を書かれ、山田耕作先生が曲を書かれています。詞を書かれたかたは、兵庫県出身の詩人なんですが、詳しいことは存じません。でもきっと、野口雨情けさんのような、人と自然をやさしく見つめられたおかたなのでしょう。
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2007年08月17日

8月17日 アベちゃん?

「8月15日の終戦記念日に、日本の総理大臣は靖国に参拝すべきである」、これは衆議院議員安倍晋三氏の持論でした。それが、一昨日の終戦記念日に、靖国詣でしなかったですね。その政治的な是非は別論としまして、賢い選択をしてしまいました。でも、やはり信念を曲げてはいけません。世界をリードする日本のヘッドが、中韓の外圧に屈してしまいました。慰安婦問題がアメリカで再燃したのも影響し、やはりビビッてしまいました。
これでは肝心の拉致問題で、北朝鮮から「あいつは意外と甘いぞ」なんて、なめられて解決を長引かせることになりそうです。もしそのような事態にでもなれば、安倍総理の意義は失いかねます。参院選で自民が大敗し、人物的にも政策的にも、小さくなりましたでしょうか。
このままでは安倍総理が、単なる「アベちゃん」になりそうです。
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2007年08月16日

8月16日 唐船峡の流しソーメン

ウーン、暑いですね。館林で40度を記録したとか、狂った地球になりました。昼間、残り湯を浴び、そして水シャワーで凌いでいます。皆様は、どのようにして涼を呼び込んでいらっしゃいますか。
自分のふるさと南薩摩地方に、唐船峡という自然峡谷がありまして、ここが絶好の納涼を兼ねた流しソーメンの会場なんです。地下10メートルぐらいまでエレベーターで降りるんです。そこには、渓流が流れ、スノコばりの足元を錦鯉やニジマスたちが泳いでいるんですね。そのスポットに流しソーメンのテーブルがずらりと並び、ソーメンのほか、各種の料理をオーダーすることになります。今の時期、帰省者や行楽客で超満員のはずです。
私も6月に帰省したとき、グッと楽しんできました。その納涼だけの施設ではなく、真冬もけっこう賑わっているんです。やはり南薩摩は、あたたかいんですね。私は冬場の経験はありませんが、ここなら冬でもおいしくソーメンをいただけるということです。
この唐船峡でソーメンを食べたなら、ソーメン嫌いなおかたも、きっとはまり込んでしまうでしょう。実は私もソーメンなんて好きではありませんでした。それが30年前、ここを訪れてとりこになりました。帰省したなら、また訪れたくなるスポットです。
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2007年08月15日

8月15日 終戦記念日

今日は終戦記念日ですね。どこの国もそうですが、世界なんて戦争の歴史みたいなものですね。国内で覇権を取れば、今度は他国を欲しがります。自国にない宝を求めて、自国の領土にしようとするんです。またそねぐらいの意欲がないと、他国に支配されてしまいましょうか。先の大戦が終わったことで、日本も軍隊がなくなり、天皇陛下もやっと軍服から解放されました。それまでかたぐるしい軍服を着せられ、ご飯茶碗ぐらいの大きさの勲章をいくつもいくつもぶラサげて、窮屈な思いをされ続けてこられたことでしょう。
今夏の参院選で自民が負け、テロ特措法の延長が難しくなりました。さあ皆さん自衛隊の自衛とはなんなのでしょう。私が思うに、昭和の時代までは、日本列島を中心に自衛を考えていればよかったことが、平成になり、自衛の形が変わったというか、高度でより広範囲になりました。従来はただ訓練だけの自衛隊でよかったものが、テロやミサイルが世界で広がり、外国でも自国の自衛活動をしなければならない時代じゃないでしょうか。自衛隊の皆様方には、祖国や国民を守るため、バラエティー豊かで、無駄のない真剣な任務をしてください。そして、その任務にふさわしい給与を貰ってください。
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2007年08月14日

8月14日 秦野市の水

盆と正月になると、神奈川県秦野市に義兄夫婦が住んでいるものですから、親戚筋が集まり楽しんでいます。実はこれから出発するのですが、いつものことながら飲みすぎが心配です。延々と夜まで飲んでいますので、帰りはグロッキーです。
その秦野ですが、水質に恵まれたおいしい湧き水が出ることで有名なんですね。秦野の町が盆地になっていて、その地下に丹沢からの山の水が時を経て秦野に流れ、ろ過されて高品質の水になるそうです。
きれいな名水をふんだんに使っての生活なんて理想ですし、義兄夫婦の自慢でもあります。私は喧騒な都会暮らしが性に合っていると思うんですが、やはり澄んだ水と空気の生活なんて、いつかそんな環境のなかで暮らすことになるでしょう。
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2007年08月13日

8月13日 お坊さん

お盆ですね。どこの地方もそれ相応に賑わっていることでしょう。できることなら私も、墓参りしたいのですが、6月にすましたばかりですので許されましょうか。
わたしの実家は、浄土真宗西本願寺派でして、住職さんも坊主丸儲けのシーズンです。朝から初盆の檀家をフル稼働しています。この時期は一軒あたりの読経時間は、約5分程度で切り上げて、次へ移動するんです。そのたびに手提げ鞄は膨らんでいくわけです。お坊さんが来てくれたのなら、せめて30分ぐらいは読経していただかないとありがたみもありません。招かれた親戚から、「もう終わったの」なんてささやかれるしまつです。
私の養父のときに、忙しい季節ということで呼ばれたのでしょう、現役の仏教大学生が読経しにきたことがありました。「いくらなんでも」という感じでした。もうあきらかにニワカ坊主でして、夜のコンパかスナックに、バイトではまりこんでいるという雰囲気でした。それでもお経らしいことをつぶやいて帰っていただきました。そのときは「忙しいときに、わざわざ有難うございました」なんて礼は述べても、そのあとの食事で「なんだありゃあ」ということになつてしまいます。やはり、なりはお坊さんでも、そうは見えない部分がでますので、しっかり修行をつまないといけません。
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2007年08月12日

ショートストーリー10「四百二人目の神兵

通信    チトフナプライベート書房
送る人   町頭 幸三
題     ショートストーリー10「 四百二人目の神兵 」 



昭和二十年の六月は、世情逼迫する窮状にありながら、穏やかな快晴の日がよく続いていました。いま私が操縦管を握りしめる突撃機は、ついさきほど知覧飛行場から出撃し、枕崎町別府地区の、上空八百メートルにあります。六機編成の特別攻撃隊の兵士として、決してもう一度祖国の大地を駆け回ることもなく、笑顔をかわし合うこともできない日本のすべての人たちにお別れを告げています。たったひとつの目的を果たすため、無心になれることを念じているのですが、思い出すことの多さにこころ乱れる自分です。訓練飛行で見慣れたはずの、いつもの枕崎の全景画揺らいで目に映っています。青い空、青い山、青い海、我が目に焼き付けた祖国最後の色あいが、澄んだ青色だったことが嬉しくてたまりません。
私なんて、この十七年間やんちゃに生きてきましたが、父より母より先に、御仏のおそばに召されることを素直に感謝しているんです。
私が過ごした東京都杉並区松ノ木町は、軍人町と異称されるほどに、兵隊さんの多く住む町でした。それも将校や下士官ばかりが多く、兵卒なんていなかったように思います。私の父は、尋常小学校時代、級友と教室での悪ふざけが原因で左足を強打し、悪化してしまい、やむなく片足切断という不遇を被りました。ですから、徴兵にとられることもなく、こんにちまで、母親と仕立てもので生計をたててきたしだいです。私自身、小学校時代という幼いころではありましたが、当然学ぶにつれ遊ぶにつれて、軍国色で統一された毎日でした。教室でも、陸軍中尉の子息が級長として、最右翼の席を指定され、曹長や軍曹の子が列長として、各列の最後列にいたものでした。わたしは中程度の体格ではありましたが、遊ぶときなど、常に最後尾に並ばされ、父親同士の優劣が、子供同士の戯れ事にもそのまま影響していたわけです。だからと申しまして、父を恨んだことなどありませんが、悔しい思いはひとくちでは申し上げられません。仕立て屋の子でも、いつか立派に死んで、お国のためにお役に立てると信じて生きてまいりました。だからこそ私は、他の級友より先に少年飛行兵を志願し、誉高い特攻服に身を包んでいます。その事実が嬉しくてたまりません。
父の名は、松島千代吉、母の名は松島キクと申しまして、おしどりを超えたような夫婦仲でした。その両親のもとを離れ、航空隊に訓練生として三年余り。まさか遠い東京の母と、出撃前日、富屋食堂で数時間過ごせたなんて、無上のしあわせと心得ています。親子として、共に生きてきたことに胸を張り、どんな友達にも負けないほど心豊かな毎日でした。その父の姿が、母の笑顔が、流れゆく白雲のその先に・・・・。


六月十日

午前十時。
私は日課時限にしたがい、整備室で内燃機関の点検に従事していた。通用口より、「松島伍長はいるか」、軍務付少尉の声に即答した。即座に駆け寄り申告するや、
「一時間後の午前十一時、松島伍長は大隊長席に集合せよ。軍服にあっては一装用を着用し、洗顔などを済ませ、五分前に軍務班長の指示をうけよ。時間厳守を忘れるな」
私が復唱するまもなく、軍務少尉は私の腰を軽く叩き隊本部へ去った。その指示がなにを意味するか、どんな覚悟を要するか、畢竟、そのことのために私は知覧にいる。だが、言いようもない感情が全身を支配している。正直嬉しくはない。悲しいとか怖いとかそのような思いもない。ただ呆然とした放心状態とはこんなさまだろうか。自分が立っているのか、しゃがみこんでいるのかそれすらわからない。整備の古参兵殿たちが、「よかったなあ松島、しっかり任務を果たしてくれ」と両手を握られ肩を叩かれ、激励を受けた。
「そうなんだこの時のために生きてきたんだ、日ごと、訓練を重ねてきたんじゃないか」
やっと自分の意識が戻った。
「これで帝国陸軍に、自分を認めてもらったのだ。大人の兵士と同列に並んだんだ」
そう思えて、かすかな安堵感が湧いてきた。私を導いてくれる愛機が、ふと父にも母にも見えてきた。今まで感じたことのない家族同然の飛行機だったことを、いまさら体全身で感じた。きっとできる、きっと叶えられる。武運長久、おまえとならば・・・・。

午前十一時。
「第56震武隊 木村少尉他五名、命令により集合しました」
「ご苦労である。ただいまから大隊長より特別な命令が下される。それでは」
「大本営からの命令により、木村少尉、沼沢少尉、瀬沼曹長、山崎軍曹、大野伍長、松島伍長以上六名は、明十一日午前七時、特別攻撃隊として、沖縄洋上へ出撃を命ずる。・・・日本中が武運を見守ってくれている。武功をあげて大御心を安んじ奉るよう。あとは中隊長の指示により行動せよ。以上」
「このあと十一時三十分から会食とし、記念写真が終わったら公用外出を認める。帰隊時間は午後七時、遅れるな」
こうして私は任務を授かった。私ら六名は、仮会議場に移動し、手厚いもてなしにあずかった。お国自慢も飛び交うような雰囲気のなかに、互いに顔を見合わせながら食事した。米飯、豆腐汁、鶏肉と野菜類のお煮しめ、鯵の塩焼き、タクアンがならび、食後の後口にと、西瓜も添えられている。いつもの炊事軍曹殿たちが、無言で煮炊きしてくれたのであろう。武骨な兵隊社会の送別の宴が、質実な祝福として、深く身にしみている。私のような最年少の兵でも、一人前として崇められている。心のなかで、「私はやりますよ、やり遂げてみせますよ」、そんな不確実な自信だけは旺盛だった。
その宴も終わると、写真を撮った。そしてその写真は、東京の両親まで、手紙とは別封にして、送り届けてくれるよう以来した。父さんや母さんに会いたい、顔や声や姿を、そして温もりを、自分の全身に焼き付けておきたい。そんなどうにもならない欲しがりがまぶたの裏をぬらせる。もう私が果たすべきことはなにもないのか、明朝まで心の整理を済ますだけなのか。そんな気持ちでたいていの葉桜に目を細めたとき、
「松島伍長面会だぞ、東京からお母さんがまいられた、直ちに歩哨待機所へ向かえ」との伝令を受けた。
エッ、まさか、母さんが東京から来てくれたなんて。父さんも一緒だろうか、そんなことはない・・・・。一目散で向かった。

母さんがいる、確かに母さんがいる、この知覧の飛行場に母さんがいる」、信じられるも信じられないもない。現実に母さんがいた。私は、母さんに近づいた瞬間、両手を握られた。挨拶めいた言葉はでず、
「母さん喜んでください。明日出撃ですよ、初陣なんですよ」
自然にでた言葉だった。
「そうなの、金ちゃんの初陣なんですか。間に合ってよかった。さきほど知覧に着いたばかりで、本当に間に合ってよかった」
「父さんはどうしました。町田の政次郎叔父さんの所ですか」
「そう、あそこなら安心だからね。本当は母さんより父さんのほうが、金ちゃんに会いたかったでしょうに」
母は少しやつれ、一年前より確実に痩せている。しかし、それは誰だって同じだろう。でも、笑顔は変わらず美しかった。間違いもなく自分の自慢の母がここにいる。東京は空襲が続いていると聞く。よくぞこの知覧まで来れたと思う。
「東京から遠かったでしょう。九州は始めてじゃないですか」
「運良く門司港までの普通列車に乗れてねえ、門司で一泊してから、乗り換えて鹿児島まできたのよ。さすがに遠かった」
「今日は外出ができるんです。少し町を歩いてから、特攻おばさんのいる富屋食堂まで行きましょう」
私は母に、これまでのことを全て話しておきたかった。甘えたくもあった。母の前なら泣いてもいいと思った。母よりも優しく、母よりも大きな神や仏はいない。

この知覧という町、遥か悠久の南北朝時代、南朝方の武将、知覧又四郎が足利尊氏軍に敗れ、この地に逃れ、居館して根づいたという。その後、長い歴史を経て、薩摩武士の縁をとどめた。風情豊かな屋敷町界隈が、私のような若輩者にも、心に安らぎを与えてくれる。母も遠くまで訪ね来たかいがあったようだ。私にいくども、「いいとこね、いいとこね」と心底喜んでくれている。木立で生まれた六月のそよ風が、街角を抜け、川面を撫で、柳の枝に寄り添い、穏やかな午後のひとときをそっと奏でてくれている。

小さな小さな町だからこそ、母と子の再会の地として、限られた「僅かな時間の贈り物」を過ごすのに、ふさわしい惜別の町だったことだろう。

午後三時、富屋食堂二階。
私は母さんに、この三年余りのことを色々話すつもりでいた。そして父さんのこと母さんのこと、さらに級友たちのことや松ノ木のことなど、なんでも聞きたかった。だが、私も母も案外口が重く、あれもこれもと話がきりだせない。階下から、食堂の女将さんで、我々飛行兵たちの第二の母、鳥浜トメさんがお茶の給仕に参じられた。
「おじゃつたもんせ、鳥浜です」
「母さん、こちらがいつも僕らにやさしくしてくれる、特攻おばさんですよ。おばさん、私の母です」
「息子がお世話になっていること、手紙で承知しています。明日飛び立つことになりまして、間に合ってよかったです。奥様がおられなかったら、この子には耐え抜くことなんてとうていできなかったかもしれません。お礼を申します、有難うございました」
「うんにゃあ、たいしたお役にゃたっておいもはん。じゃっどん、こいげなことめったにいえもはんどん、腹んなかじゃこげなむごか戦争なんか、はよ終わらんもんかとおもちょっですよ。そいならあとで、ウドンでんないでん持ってきもんで、お母さんも松島さんもゆっくいしていっきゃんせ」

鳥浜トメにとって、松島金之助は何人目の特攻兵だろうか。こんなことがいつまで続くものか。いつになっても見えぬその先を、力なく向き合うだけしかない。

「ねえ母さん、あの特攻おばさんに母さんの面影を見つけることはできませんでしたが、やはり気持ちの支えでしたよ」
「金ちゃんも大人になりましたね。やっぱりいつか子供は、親離れしていくんですね」
「母さんお茶をいただきましょう。知覧はお茶どころなんです。その銘茶を枕崎の駒水で湧き出た名水で飲むんですから格別です」
家族三人で、丸いちゃぶ台を囲んでいたころを思い出す。なにもかも写真を見ながらのように鮮やかにあのころを取り戻せた。
「金ちゃんに渡したいものがあるのよ。父さんがね、男同士の心意気だなんていいながら、素早く縫い上げたんですよ」
リュックから、七分袖の肌着、サラシの腹巻、下帯を並べ、そして大宮八幡の御守りを添えた。純白の三つ揃いに朱塗りの魔除け。
「これを父さんが、私に身に付けて飛びたてとおっしゃったんですね」
母さんは何度もうなづいた。大声で泣けるものなら泣きたい、大声で父に礼をいいたい。両の手で膝頭を握り締め、こらえた。涙だけは止められない。声を詰まらせながら、
「父さんに、いい贈り物だったと伝えてください。そして明朝、しっかり締めなおして乗り込みますと」
ひとつひとつを手に取り、生地を掴むように触った。どういうことだろうか、私は子供のころからよく聞かされた、吉良邸への討ち入りを連想してしまった。義士たちのなかで、父親の無念まで背負った、足軽の矢頭右衛門七のような気分を感じている。純白の布地が、喝采極まる雪舞台と重なる。あの仮名手本のようにいくわけもないだろうが、せめて大空の下、松島伍長ここにあることを。

そして母さんは、水筒と湯のみを取り出した。
「この水筒にはお酒が入っているんですよ。父さんがお酒をこの水筒に移してね、この湯のみで飲みました。そのときのままで持ってきました。父さんと酌み交わしたつもりでいただくんですよ」
「別れの盃ですか」
「門出のお祝いの盃よ。金ちゃんはまだお酒になれてないでしょうから、口を少し濡らしてくれればそれでいいんですよ」
父さんが飲んだ湯飲みをそのまま持参してきたのだから、父さんの祈念が込められている。この瀬戸物だって見覚えがある。そう思いひとくちふたくちと口に含み、飲み干した。酒なんて飲みにくいものだが、喉や内臓を締めつける感覚は、大人たちが騒ぎながら回し飲んでいる様子がわかるような気がする。
「父さんはね、金ちゃんに命より名前が大事だと伝えてくれとおっしゃっていましたが、母さんはそうは思わない。普通に嫁さんをもらって、子供ができて、孫と一緒に暮らしたかったですよ」
だが、今の私の年では想像もできないことだった。腕白時代の級友たちよりも早く軍服を着たかったし、仕立て屋の子でも軍人の子より軍人らしくなりたかった。そんな反感や反骨だけが自分を支えてきたからだろう。
「ねえ金ちゃん、この赤い肩掛け母さんに似合うかしら」
母さんが、冬の襟巻きのようなものを首に巻いている。しかも、派手すぎる赤いものだ。
「どうしたんですかそんなもの。しかも季節が逆じゃあありませんか」
「もちろん今は巻いていませんよ。でも寒いときなんかときどきこうして巻いていたんよ。少しは若返って見えるでしょう」
エーまあそうかもしれませんが、その赤い色じゃあ、在郷軍人だの愛国婦人会だのと睨まれませんか」
「大丈夫よ、堂々としていたら案外平気なものよ」

振り返れば、赤いものなんて見たような記憶がない。日章旗を除けば、せいぜい西瓜か梅ぼしていどのもので、ましてや身に纏うもので、真紅に染まるおんな色なんて、身近なことでは無縁だった。鮮やかなまでに脳裡を焦がす、灼熱炎上の色。その残影は、まぶたから消えることはない。

私は隊に戻り、三角兵舎で、手紙を書いた。まだまだ語りつくせぬことをしたためた。今夜は眠れるはずがない。声を押し殺してすすり泣くにきまっている。だが、泣き疲れすべてを諦められたならば、眠りつくことができるかもしれない。


六月十一日

午前六時四十五分
木村少尉他五名は、滑走路北側に横隊で整列した。そして六名と運命をともにする零戦六機も、爆弾を装備して、整備兵と並んで東側に駐機している。滑走路から離れた西側演習場に、上官や後続残留の兵士全員が、すでに二列横隊で整列を終えている。そしてその南側に、地元民間人が多数集まり、見送ってくれている。私もちょっとした隙に母さんの姿を求めたが、注視する余裕もなく、とうてい見つけだせない。
大隊長から特攻兵全員の階級、氏名が呼ばれ、「日本国中が武運を祈っている」というはなむけをいただいた。出陣の盃を順に貰い、最後に私がいただいた。
「松島伍長で、この知覧飛行場から四百二人目の特攻兵士となる。若い人というのは純粋で素晴らしい。いいか松島、どんなことがあっても振り向くな、振り返ってはならんぞ。まえを見続けろ、きっとなにかが見えてくるはずだ」
大隊長は涙をこらえていたと思う。わたしもそうだったから。気持ちで応えた、
「松島伍長行きます」

午前七時丁度。
私は機内にいる。一機ずつ滑走路から離陸していく。見送る誰もが、帽子を振り、手を振って送ってくれている。六番目のそのときがきた。だが、どうしたことか、両眼が霞む。力を込めまばたきし、滑走路に入った。エンジン全開、滑走開始。そのとき右目が、赤い肩掛けを首に巻くモンペ姿をとらえた。
「母さんだ、母さんがいたんだ。昨日見た赤い肩がけを巻いている。そうかそうだったのか、自分の姿を印象づけ、目立てさせるために、わざとあんなことをしてみせたんだ・・・・」
すでに機体は離陸よしの状態だった。私は右の平手で、力いっぱい機体を三度叩いて応えた。母さんが走って追いかけてくるのがわかった。
「母さんごめん、振り返るわけにはいかないんです。振り返れば人と大地に未練がのこるんです。このまま行かせてください」
六番機も離陸した。母親も立ち止まった。松島キクは、涙声で叫んでいる。
「金ちゃん金ちゃん、金之助・・・・戻っておいで。母さんのところへ戻っておいで」
南の空へ上昇する六番機も、両翼を上下に揺らし泣いている。

六名の神兵たちは、与えられた命令が、唯一無二の名誉と信じて、祖国の山河同胞に別れを告げて行った。
そのひとり、松島金之助。東京都出身、昭和二年七月十七日に生まれ、昭和二十年六月十一日に没する。
posted by さっぜさん at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味のペン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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