2008年06月10日

6月10日 旗手

北京五輪の旗手に、卓球のアイちゃんが選ばれたそうですね。全開のアテネでは、女子レスリングの浜口京子さんでしたから、連続で女子選手ということになりました。
そのオリンピックの開会式ですが、あの入場行進はもう少し時間短縮できないものでしょうか。ギリシャにはじまり、開催国まで入場し終えるまで、とてつもなく長いですね。待ち時間まで数えたら、選手は悲鳴ものでしょう。足は棒になるは、腰は痛くなるは、トイレに駆け込みたくなるわで、拷問同様でしょう。大観衆の期待と、歓喜だの興奮だのを思えば、選手や役員は、我慢我慢でしょうか。閉会式なら、ひっちゃかめっちゃかの大混乱ですから、木になることもないでしょう。
やはりオリンピックという大イベントのことを考えると、あのようなスタイルにならざるを得ないのでしょうか。その日本選手団の先頭を、アイちゃんが思い国旗を掲げて行進するわけでしょう。昔のように整然とした行進ではありませんので幾分気軽ではありましょうが。日本選手団がメインストリートを過ぎたなら、旗を後ろの大男にお願いして、雲隠れしたがいいんじゃないでしょうか。北京まで行進するために行くわけではありませんので、こんなこといらざる負担かもしれません。
選手の皆様、本番の試合で頑張ってください。
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2008年06月09日

6月9日 嗚呼秋葉原

「人を殺すために秋葉原に来た、殺すのは誰でもよかった」という、このごろはやりのような殺しの動機でした。七人を刺し殺し、十人に重軽傷を負わせたのですから、流血を伴ったという意味では、地下鉄サリン事件より惨い惨劇です。どうしてこのような鬼以上のバケモノがひそんでいるのでしょう。
静岡県の25歳の若者ということですが、両親はいましょうか、どんな育ちかたをしてきたのでしょうか。裾野市に居住とのことでしたが、この小さな町では煮たぎった大鍋をひっくりがえしたような大騒ぎでしょう。七年前に発生した、大阪教育大付属小学校殺傷事件の命日に思いをはせたばかりでした。軌道をはずした若者の、怖さをあらためて思い知りました。
ひとつには、サバイバルナイフを容易に入手出きることにも問題がありますね。バタフライナイフといい、こんな殺傷力の強いナイフは、ピストル同様入手できないようにしないといけません。刃渡り13センチなんて、ポケットにも簡単に入るでしょう。厳しい法の規制があっても、利益優先の売り手がいるかぎりいたちごっこでしょうか。
警察では、定年退職者の再雇用が定着して十年以上たちました。東京という大都会では、どうしても警官が足りません。この再雇用者たちを本庁内や署内に残し、街頭になるべく多くの警官を活動させなければいけません。署内勤務になると、出世組だという馬鹿げた思い上がりがありますから困りものです。せめて見せる警察でもして、予防力学の作用でも働かせていただきたいものです。
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2008年06月08日

6月8日 あやめの里

アジサイと菖蒲が、見ごろの季節になりました。このところ四年ほど、明治神宮で菖蒲を鑑賞してきましたが、昨日雰囲気を変える意味で、伊勢原の「あやめの里」まで出かけました。
小田急線伊勢原駅から臨時バスが出ていまして、悪路に揺られながらあやめの里なる田んぼの里まで。バスを降りるなり、蓄えているタイヒの臭いがツーンと鼻を支配してしまいました。私のバディーは一気に不快な気分にさせられたようですが、私は意外と嬉しくなる臭いでした。なんといいましょうか、農業国日本を取り戻したような、懐かしさを感じたような次第でした。明治時代の農耕地の臭いなんて掲揚したなら、地元のかたに怒られましょうか。
そして菖蒲園のなかに。咲いてました咲いてました。紫、赤、黄、桃、そして白。
理想は、雨天の日に鑑賞するのがベストなのでしょうが、遠出の見物じゃそうもまいりません。板敷きでのコースを歩きながら、手で触りながらのいいくつろぎでした。茎が長くちょうどいい背丈でしたので、腰をかがめることもなく、指や手のひらで歩きながら愛撫できたわけです。私はこんな菖蒲を見ると、花札の図柄を即座に思い出してしまいます。丸く咲くわけでもなし、ラッパ状に咲くわけでもありませんね。流れる水を欲しがるかのように、垂れて咲きますので、味わいもまた別向きなところにあるやもしれません。
此処のあやめの里の他に、県立相模原公園、明治神宮、妙法寺など楽しませていただきましたが、下町の掘りきり菖蒲園をまだ訪れていません。一年後にしましょうか。ネッ。
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2008年06月07日

6月7日 ハイセイコー

火曜日の歌謡コンサートの思い出コーナーで、「さらばハイセイコー」を増沢さんが歌いましたね。あのころ馬といえばハイセイコーでした。
昭和48年の有馬記念、私が初めて買った馬券だったんです。思い出しますね、いや忘れられませんね。ハイセイコー君が疾走し、その年のGTレースを締めくくってくれました。二着のトーヨーアサヒと絡んで、連複1番3番で、710円の配当でした。初めての勝負で、いささか儲けさせていただいたんです。
そのころ大井町に住んでいたものですから、大井競馬や平和島競艇が近くて、足も運びました。でも振り返れば、無駄のひとことでした。悪いコーチ屋にやられたこともあったんです。そして、渋谷の場外にも通いました。愚の連鎖ですね。結局、馬券という固い小さな紙片をポケットにしまいこんで、必至に祈ってるだけのことでした。なんとも愚かなことだったとしか、いいようがありません。
もう賭け事とも無縁になりました。でも先のことも考えず、遊んでいるころといいましょうか、遊べたころが一番いいころだったのでしょう。
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2008年06月06日

6月6日 東京市長後藤新平

一昨夜の「そのとき歴史が動いた」の放送をご覧になられたお方もおられると思います。東京市長をなされた、後藤新平さんのお話でした。ご覧になれなかったお方や、後藤さんをご存じのないお方もおられると思います。番組のダイジェストに、私がほんの少し伝え聞いたことを簡略に書かせて下さい。
後藤さんはお医者さんだったのですが、その医療技術や熱意のほかに、保健衛生学や都市工学などへの情熱を、軍や政府に乞われました。当事植民地となった台湾や満州の都市づくりに手腕を発揮したんですね。それは医学、保健衛生学の観点から、防疫といいましょうか、予防医学に力点をおいた公衆衛生重視の都市でした。つまりは将来の都市のありかたを、市民の健康保持に主眼をおいた構想だったわけです。その業績が認められ、重要閣僚や貴族院議員などを経て、第七代東京市長に任ぜられたわけであります。当事の東京が、いまだ江戸の町そのままだったことに憤り、近代都市東京のグランドデザインを描いたわけです。そのプランは着々進められました。しかし、辞任直後の大正12年9月、関東大震災で壊滅してしまったんですね。政府は後藤を、臨時の帝都復興院総裁という立場でとよし、見事東京を再生なさったわけです。現在のインフラの基盤を作られたわけです。


その後藤の私邸を、のちの読売社長の正力松太郎が訪ねる。
「後藤先生、私は警視庁警務部長を辞任し、新聞社を創業したく考えています。つきましては資金を持ち得ません。先生のご尽力を賜ることはかないませんでしょうか。社名は読売新聞としたく考えています」
「よし、わかったよ正力君、なんとかしよう」
こうして読売新聞は創刊された。正力はふと、
「さすがわ後藤先生だ、よくぞこの俺に莫大な資金を都合してくださった。だが先生ほどの大政治家だ、どこかの深いつながりで容易にご便宜なされたのだろう。あまり気にかけることもないだろう」
などとつぶやきさえ出てしまうこともあった。
そして、後藤新平死去。正力は思いもかけぬことから、借入金の真相を知ることになる。
それは、後藤新平が自分の名で右から左に工面した金ではなかった。後藤の全私財を担保に、金融機関から借り入れたものだったという。正力松太郎は鳴いた。男泣きに鳴いた。我が身の浅はかを悔やんだ。
「後藤先生、有難うございます。こんな私をとうていお許しにもなられませんでしょうが、この正力、新聞をつうじて社会の眼目となることをお誓い申し上げます」
泣き崩れる正力の後姿に、信奉者の真影があったことはいうまでもない。
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2008年06月05日

6月5日 雨とアジサイ

 水無月の雨の朝 アジサイ宿で 
  でんでん虫が 顔を濡らし 
  花の中で 水玉ころがし 遊んでる
  スイスイ コロコロ トロリンポイ 
 

 五月雨の雨の午後 アジサイ野原
  カエルたちは 素足のまま
  花をめざし つぼみをこえて 飛び跳ねる 
  イキイキ ピョンピョン ジャンピンパー


 夕暮れの雨の街 アジサイ路地で
  子供たちは 帰り道
  傘の花を ぐるぐる回して 歌ってる
  リーリー ルールー ルンピーラン
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2008年06月04日

6月4日 尾瀬

「夏が来れば思い出す、はるかな尾瀬遠い空・・・・」。この歌がテレビから流れました。ふとパソコンの操作をやめ、聞き入ったしだいです。思い出しますねえ、あの尾瀬沼の見事な自然の美しいさまを。もう三十年以上前の回顧になります。
富士山といいこの尾瀬沼といい、どうしてこのように見事な自然の美があるのでしょう。日本という大地に、生まれ育った喜びなのでしょうね。あの木道を伝いながら、群生するミズバショウさんたちに、「はじめて拝見しました」なんて声をかけたものでした。
でもそれ以来訪れていないんです。変わらぬ自然環境と、景観美を保ち続けていることでしょう。空と山と湿原。そして浄土を思わせる白と黄色の無数に咲きならぶ如来さま。天国にいちばん近い、此岸の地なのかもしれません。
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2008年06月03日

6月3日 若者と田舎

学生工作隊なんて、こんな言葉、三日前初めて聞きました。なんとなく中国の、共産主義人民援助隊とでも呼称したうなるような感じがします。
土曜日の朝の報道番組で知ったばかりです。なんでも山口県内の大学生が、衰退した農業を復活させるため、地元県内の農家をボランティアで応援に行ったんですね。そのチームのことををいうらしいんです。番組では、地元特産のお茶の栽培や摘みとりで奮闘していました。特別に詳細なことまで紹介していたわけではありませんので、全体像はわかりません。ボランティアの学生たちも、いくらかなりの日当をいただけますし、いいプランだと思いました。そして、東京で挫折し仕方なく郷里に帰った若者も取材していました。友人と地場産業を興し、成功していました。まだまだ田舎も捨てたものではありません。
どこの地方も、若者が去ってしまい疲弊しています。若い労働力は、夢や希望のシンボルです。若者たちもいい経験になりますし、どんな道に進もうと、将来への手ごたえを感じるのではないでしょうか。
私はこんな番組を見ていると、自分の田舎とすぐダブってしまうんです。この菜の花日記にも何回も書いていますが、地方が廃れてはいけません。農業にせよ水産業にせよ、人が生きていくうえでなくてはならない産業ですね。廃れていくということは、また新たなビジネスチャンスでもあります。ゴミをゴミとみるか、埋もれた宝と見るかの違いでしょう。見捨てられたものでも、誰かが興せば需要は満たされるんじゃあないかと。誰もいない山や畑や海ですが、その気にさえなれば、豊かな明日が・・・・きっと。
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2008年06月02日

6月2日 市民音楽

このところの長雨で、気持ちまで冷え込んでいました。それが昨日の好天で、気分よく外出できました。狛江の駅からエコルマホールにさしかかるや、無料コンサートが催されていたんです。
狛江市は音楽芸術の町をめざしていまして、有志グループによるコンサートが活発なんですね。「第36回初夏の音楽会」の案内に気づいたんです。もうウォーキングどこではありません。当然途中からではありましたが、そのままホールのなかへ。コーラス、弦楽演奏、マンドリン、ハーモニカ、フルートなどの音色が、耳に心地よく語りかけてくれました。忘れ去られてしまいそうなメロディーも、リバウンドするかのように、胸のなかに蘇ってまいりました。普段から熱心に稽古なさっておられるんですね、いい曲を丁寧なアンサンブルで楽しませてもらったんです。思いもよらぬ、市民音楽家たちのプレゼントでした。
そして私にとって圧感は、和太鼓の演奏でした。ハチマキに腹掛け姿のいつものいでたちで、賑やかに揃いの乱れ打ち。私はなんですねえ、太鼓そのものの音より、むしろ太鼓打ちの手さばきやバチさばきの躍動感が好きなんです。ダイナミックな両手の動きが乗せてくれます。私も打ち手の呼吸に合わせて、つい「やーッ」なんて合わせてしまいそうになりました。
世田谷時代は、農大の収穫祭だの森繁通りで、見せて聞かせてもらつたものでした。ですから三年ぶりぐらいのナマの迫力だったわけです。またいつかどこかで、ライブに出会えることでしょう。
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2008年06月01日

6月1日 水無月に思う

旧暦でそれぞれの月を味わいぶかく異称していますが、私は、この六月の水無月という呼び方が一番好きなんです。中世的な墨絵ぼかしの、時代背景を思いおこすんです。語源は、このつき田植えで、田に水を引くため、川の水がなくなるからとか。生活感を如実に象徴した表現ですね。
たとえば、水無月川、水無月宿、水無月藩、そして水無月弥太郎と名乗る日本ざし。江戸へ江戸へ、あるいは宿場へ宿場へとわらじを急がせる旅の衆。私は、そんな風情を想起します。長谷川伸さんや村上元三の、股旅の世界でしょうか。
でも、男衆なら旅もできましょうが、女衆はそうもまいりません。武家の奥方や腰元、商家のおかみさんや宿のめしもり女、そして花魁や夜鷹さんたち。狭い世間の中で、ひとさまの目を気にしながら、窮屈に生きていくしかなかったんでしょう。
現代の日本社会では、そんなモノクロームなことは、小説やお芝居だけのことですね。いい本を書ける物書きや、達者な演技者が続々と輩出してもらいたいものです。
posted by さっぜさん at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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