2008年06月18日

6月18日 寺とアジサイ

街を歩けば、どこかの辻にアジサイが咲いてます。雨に咲くアジサイなんて、水の精華そのもののような美しさでしょう。寺町の垣に作アジサイ小道を、番傘をさして二本差しが歩く風情は、眠狂四郎だけの美の世界でしょうか。

前方から近づく女が立ち止まり、狂四郎を見つめて口を開いた。
「卒爾ながら、狂四郎さまとお見受けいたします。今宵の雨はやらずの雨とおぼしめされ、この身を一夜だけ所望願いませぬか。およしと申します。紫陽花宿までご案内いたしましょう」
「武家育ちのようだな。ただの夜鷹ではあるまい。この狂しろう、数多の女人と関係をもったが、その名を記憶にとどめる配慮を怠っていた。どんな趣向かわからんが、このまま幕を引くわけにもまいるまい。およしとか申したな、どんな趣向か拝見いたそう」
こんな決め台詞を残し、羽二重の裾を濡らしながらふたつの影は消えていく。この色めく紫陽花の花舞台でさえ、狂四郎の立ち姿が重なれば、ただの引き立てにしか映らない。花を添えるとは、このような趣をとどめおくときが一番ふさわしい。千両積んでも聞きたくなる決め台詞は、眠狂四郎だけに許された気障り無用のダンディズム。


そのようなおさむらい気分を思い描いて高幡不動尊まで。
アジサイも多種多様ですね。そのなかでひと際印象づけられたのが、カシワバアジサイでした。茎が延びて賑やかに咲き誇っているんですね。白を基調とした、細長い三角ばなとでも呼ばせていただきましょうか。傍らの見物客が、「柏の葉に似てるからそういうんじゃないか」などとつぶやいていました。そうなのでしょうか。
雨に濡れるアジサイならば、顔を近づけて私の頬も同じく濡らしましょうが、こんな好天ではそんなこともかないません。白いアジサイの陽炎を想起して、また逢えるそのときまで。
この名刹、奈良平安の歴史に心寄せられるとか。仏法に庇護されながら、奥ゆかしくそしてみずみずしく。
posted by さっぜさん at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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