2007年02月13日

ショートストーリー8 「柳生宗矩(やぎゅうむねのり)と沢庵」

この話は遠い過去、ほんの一部を人づてに聴いたものを原案に、全て作者が創作したものです。

通信   チトフナプライベート書房
送る人  町頭 幸三
題名   ショートストーリー8「柳生宗矩(やぎゅうむねのり)と沢庵」


江戸場内、将軍謁見の広間

「上さまのお成り」
「柳生ムネノリ、沢庵、くるしゅうない、おもてをあげい」
「ハハッ」
時に両の者、剣の道、悟りの道において、この国の双璧とみた。そこでいずれが勝るものなのか、この家光、勝負が見たい。座敷牢に虎を放つゆえ、それぞれ虎と対峙し戦ってみよ。太刀や槍など用いてはならん。究極の剣技と究極の説法、いずれが虎を制するか見ものじゃ。ムネノリの存念を聞こう、いかがじゃ」
「ハハッ、このムネノリ、沢庵殿には人の道などなにかと教えを受けている身、とうてい及ぶものでわございませんが、上様の申し出ならばもとより異存はありません」
「沢庵はいかがじゃ」
「ハハッ、恐れながら上様に申し上げます。仏の道につかえる者なれば、争いは仏の道の外と心得ます。しかしながらこれは、人と獣との出合いのようなもの。暫し戯れてみましょう」
征夷大将軍直々の君命なれば、山よりも大きく、大石より重い。
狂気とも思われる上意を仰せつかった。天下泰平の気運は盛り上がり、天下人家光のの退屈の虫を封ずる趣向とはいえ、余りに冷酷非情。これが将軍家剣術指南役と、この国一とうたわれる高僧への、避けようのない試練なのか。
近侍の老中から、「日付は明後日、時刻は巳の刻とする」の示達あり。


その日時その時刻、場内は静まり、幕府重臣一同は戦慄の極限にあった。その多くが、
「柳生は丸腰で朝鮮虎をしとめる気か。いかな柳生とて無謀じゃ」
とのささやきだけが聞こえていた。
ムネノリは一人書院に控えその時を待っている。
「柳生ムネノリ殿、奥へ参られい」
召し出し役の呼びだしと同時に、かみしもを置いて奥へ進んだ。襖が開き、見届け人の幕閣たちには目もくれず、鉄格子の檻(おり)の中へ。周囲は凛然とした気配に包まれ、その幕閣たちの後方の御座所には、太刀持とともに家光のおしのびの姿があった。顔を覆う頭巾のなかから、両眼が爛々と光リ、タッタ一人の武士ダケヲミスえてイル。ムネノリの顔面は蒼白し、眉間には立てじわを寄席、剣鬼(けんき)の形相そのものだった。眼光の険しさは、千里の道まで凝視するかの如く燃え上がっている。ムネノリの殺気と身構えに幕閣の誰ひとり口も開けず身も動けない。あぶら汗だけが、胸と背中を伝う。閉じた襖戸ノ裏から、百獣に君臨する虎のうめく声が低く低く聞こえ、その荒々しい鼻息と落ち着かず動きまわる足音が身もこおる恐怖となって襲いかかる。ムネノリ自信、虎など見たこともない。びょうぶ絵の中で、山奥の竹林で吠えるたけだけしい獣の姿しか存知えない。
襖が開き大虎が放たれる気配を感じたのだろう、ムネノリは腰の鉄扇を抜き、斜め正眼にひしりと構えた。わずか一尺足らずの鉄扇ながら、その威圧力は兜でさえ両断する大刀の如くなり。その瞬間、竹林を描く襖が左右に開き、鉄格子の扉も開いた。まさに大虎だった。虎は檻を離れムネノリに向かう。その距離三間。猛獣は鉄扇を構えるムネノリを眼前の敵と見た。ムネノリの不動の気迫が、戦いを挑んでいることを猛獣は即座に感じ取っていることは明白。獣の戦う本性が、猛獣の闘争本能を勢いづかせる。生きていくために獲物を襲い、生きていくために獲物を食う。野生に生きる野獣のしきたりのまま、牙をむき出し、右前足を上げ吠えかかる。
「飛びかかるぞ」、見届けの幕閣の誰もが息を呑んだ。
瞬間、ムネノリはそのままの構えで、鋭く一歩前に進んだ。両の眼光は、烈火の如く燃あがり、眼力は、虎の両眼を突きぬけ脳天を突き刺し、臓器まで貫いた。この恐れを知らぬ密林の王に、戦慄がはしったか。足が止まった。巨体が右へ左え。獣の眼はムネノリを捕らえ、瞬時の隙と同時に襲うは必定。獣は二歩迫り、ムネノリは半歩進んだ。僅か八畳余りの戦場のまあいが詰まる。鉄扇の切先は、獣の小鼻から逸らさず、急所一撃の身構えは微動だにしない。ムネノリの鬼さえ震えさす気迫か、百獣を制する猛獣の肉迫(にくはく)か。獣は二度三度前足を上げ、牙をむき出して、うなりをあげる。だが、ひるむムネノリではない。修羅をも斬り砕くムネノリの殺意満々の形相は、獣を超える獣に化身していた。この静かで凄まじい戦いは、四半時に迫ろうとする。
「おっ、虎が眼を逸らしたぞ」
幕閣たちは、汗で濡れた両の手で思わず袴を握りしめた。片足を立て、身を上げようとするも、硬直した五体は動かない。無敵で君臨してきたであろうこの獣が、尾を下げ、首を振った。やがてその巨体は首を下ろし、ゆっくりと振り向きながら座敷牢を出て、元の檻に戻った。ムネノリの殺気血走る両眼は、その眼で既に獣の頭蓋を斬っていた。襖が閉まり、安堵の生ぬるい空気が、俄戦場に漂ったろうか。
「ムネノリ殿、でかした、ムネノリ殿が勝ちもうしたぞ。見事じゃ見事じゃムネノリ殿」
以外にも、最長老で一番の気弱と思われがちだった勘定奉行がせきをきったものだ。将軍ながら、剣の師と仰ぐムネノリの奥義と技量の深さ大きさに、家光の両眼が濡れている。ひたいから流れた汗なのか、胸の奥までまで切り裂かれるほどに共感した感涙なのか。それはもとより後者のはず。溢れる涙は、頭巾の下で頬から口元へ熱く伝っていく。
鉄扇を腰におさめたムネノリは、心を整え、礼式どうり作法をすませ、無言で書院にさがり沙汰を待った。
「ムネノリの去った広間の一隅で、
さすがわ柳生じゃ、ムネノリ殿じゃ、あれが噂にたがえぬ柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)の無刀術じゃ」
ざわめく声は、江戸城を飛び交うすずめの群れのように弾んでいる。

ことの詳細は、茶坊主によって別書院で控える沢庵に伝わる。沢庵の顔に安堵の笑みが浮かび、
「柳生ムネノリ殿こそ剣聖じゃ、比類なき柳生の剣は、徳川の世を磐石に支えるじゃろう」
沢庵は万感の思いでムネノリを讃え、黙して読経を続けている。


それから小半時

沢庵おしょう殿、奥へ参られい」
その時、柳生ムネノリは険しく、厳然とし何者をも寄せつけぬ厳しさに満ちていたが、この沢庵いつもと変わらぬ物腰。いや、むしろ穏やかな顔は祝いの席にでもよばれるが如くである。出入りの襖が開き、沢庵は居並ぶ幕閣たち、そしてその奥の高い席に、礼式にしたがい所作に及んだ。その沢庵の笑みさえ含む様相は、仏にも似たり。
「なんとしたことだ沢庵殿は、ことの次第がわかっておられるのか」
「「いかん沢庵殿がおかしいぞ、狂われたか」
ざわめきが起こり、幕閣たちは、顔を見合わせた。沢庵はその場で袈裟をおろし、帯を解いた。素早くたたみ終え、下帯だけの裸身となり立ち上がる。
「いかがいたした沢庵殿、これでは食われるを望んでのことか」誰からともなく、救いを求める声が。
「各々がたうろたえてはなりませんぞ。沢庵殿には沢庵殿の考えがあってのことかもしれ申さぬ。ましては上様のご面前ですぞ」
寺社奉行が膝を立て、気力で制した。家光も動かない。家光の胸を揺すり、頭をかすめるものは御仏へのわびか、償うための功徳か。もはや呆然と成り行きに委ねるのみ。
沢庵は、そのままの下帯姿で檻の中へ。鉄格子の扉が閉まり、かんぬきが入った。先ほど同様襖壁の奥から、虎の重量感ある低いうめきが聞こえてくる。身も凍りつくような絶望的な恐怖にさいなまれるはずだが、怯えるような素振りはない。並の者なら、檻の後方か両の隅に位置するものだが、この沢庵、檻の真ん中にいる。獣の鋭い嗅覚で、新しい生身のものが、近くに現れたことを感じたようだ。獣が動いた。
その不気味な足音が聞こえ、沢庵は、その足音に合わせるかのように首を縦に振り、つま先を立て身を動かした。瞬間襖が全開し、苛立つ獣が眼前に迫る。沢庵が両手を差しのべた。
「さあ、おじゃれおじゃれ、こっちへおじゃれ」
沢庵は村のわんぱくたちを招くかのように、満面恵比須顔で引き寄せた。
「ほれほれ、どうしたどうした、この沢庵と遊んでおくれ、きなされきなされ」
沢庵は両膝を曲げ、両手を広げ首を左右にふる。この獣に沢庵はどのように映ったろう。すくなくも危害を思わせる、敵獣と感じさせる生き物ではない。柔和に手招く沢庵の仕草に、さすがな猛獣も、不思議な妖術に陥ったのだろうか、そのままのそりと近寄った。近づいた獣の顔に自分も顔を近づけ頬を寄せたものだ。獣は前足を沢庵の両肩にかけ、長い舌で沢庵の顔面をなめる。沢庵の両手は、獣の頭やひたい、さらに顎を優しく撫で回す。獣は心地よい悦に感じたような吐息でこたえる。沢庵は両手を獣の首に回し、その場に横臥した。獣の巨体は沢庵を押しつぶし、それでも沢庵の顔から肩を胸をなめまわす。今度は沢庵が、横から上から獣の首を愛撫し、我を忘れてじゃれあう。下帯もゆるみ、男根睾丸(だんこんこうがん)あらわなるも、おかまいなし。
「見られい、沢庵殿は、赤子のようじゃ、赤子になり申した」
「虎が猫になった、飼い猫とおんなじじゃ」
沢庵の、この一切の邪念を振り払い、無心の境地で臨んだあるがままの自然体だった。幕閣たちは一様にあぜんとするばかり。
やがて沢庵は、立ち上がるようにしながら獣を檻の近くに誘い込み、見事檻に入れ扉を閉じた。またしても老奉行、
「沢庵殿も勝った、沢庵殿の心の広さが、大虎を猫に変えてしまったのじゃ」
「そのとうりそのとうり、愉快愉快」
幕閣一同は手をたたき膝をたたいて称えた。沢庵は取り急ぎ身支度をすませ、事の終わりを上申した。聡明さでその右に出る者なしとうたわれた自社奉行が、そのまま膝を詰め問いかける。
沢庵との見事でしたぞ、天晴れでしたぞ。どうかお答えくだされ。いかなる心境にして、あのような振る舞いに及べるものなりや」
「この沢庵、ただ心頭を滅却して臨んだにすぎません」
「いまひとつ、その心頭を滅却したことと、裸身とどのように結びつけられる」
「およそこの世の生き物で、衣をまとうは人のみ。衣があっては、この沢庵とて獣になりきれません」
「道理でござる沢庵殿、。さぞかしお疲れ申したろう。さあ、書院に下がり茶など一服めしあがられよ」
その始終を見届けた家光は、僅かながらうなずいた。自ら直々に呼び寄せねぎらうことはなかったが、深く感じ入ったことを老中から下達された。

柳生ムネノリに沢庵の一部始終が、茶坊主によりもたらされた。ムネノリに言葉はなく、ただ黙して平伏して動かなかった。勇者のみが知る、そのまた勇者への畏敬の念だったろうか。
このあと家光は、御前試合をを好まず、次期後継となる家綱の治世術を重視していった。

徳川葵十五代、剣の上に心を置き、剣の下にまた心を置く。
posted by さっぜさん at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味のペン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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