2007年11月22日

11月22日 成城

小田急線成城学園駅の真上にある、成城コルティーが出した冊子に、成城の歴史が記載されていましたので要約させてください。
1925年に、新宿の牛込にあった成城小学校と中学校が、その拡張の必要性により、現在地に移転したことがはじまりなんですね。創立者の沢柳政太郎先生と、やがて玉川学園の創立者となる小原国芳先生が、旧制の成城第二中学校を設立したことによるそうです。その当事今の成城一帯は、砧村喜多見と称し、当然武蔵野の一角を占める雑木林がひろがっていたとのことです。その成城学園の学風は、「個性を尊重する自由な気風」ということで、戦前という軍国主義真っ只中の時代に、ハイカラな学園として注目されたんですね。そのハイカラ学園が根づいたものですから、付近一帯も連動し、今の東京屈指の高級住宅地としての発展をみたわけであります。
私は成城という地名の漢字から、徳川時代に、出城でもあったのかと思っていました。思えば、国士舘大学が麻布(あざぶ)から、東京農業大学が青山から、それぞれ世田谷に移転しました。学園の発展に伴い手狭になり、地価の安かった武蔵野に移ったのでしょう。
砧には東宝撮影所があり、調布に大映や日活があったからでしょうか、大物セレブの街になったのでしょうね。私の住む狛江市といいましょうか、世田谷区喜多見といいましょうか、どちらも成城のお隣なのですが、その差は実に大きいものがあります。ここ十数年の間に、狛江も喜多見も、第二成城と呼ばれるような、グッとおしゃれな街になって欲しいのですが。
posted by さっぜさん at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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