2007年08月12日

ショートストーリー10「四百二人目の神兵

通信    チトフナプライベート書房
送る人   町頭 幸三
題     ショートストーリー10「 四百二人目の神兵 」 



昭和二十年の六月は、世情逼迫する窮状にありながら、穏やかな快晴の日がよく続いていました。いま私が操縦管を握りしめる突撃機は、ついさきほど知覧飛行場から出撃し、枕崎町別府地区の、上空八百メートルにあります。六機編成の特別攻撃隊の兵士として、決してもう一度祖国の大地を駆け回ることもなく、笑顔をかわし合うこともできない日本のすべての人たちにお別れを告げています。たったひとつの目的を果たすため、無心になれることを念じているのですが、思い出すことの多さにこころ乱れる自分です。訓練飛行で見慣れたはずの、いつもの枕崎の全景画揺らいで目に映っています。青い空、青い山、青い海、我が目に焼き付けた祖国最後の色あいが、澄んだ青色だったことが嬉しくてたまりません。
私なんて、この十七年間やんちゃに生きてきましたが、父より母より先に、御仏のおそばに召されることを素直に感謝しているんです。
私が過ごした東京都杉並区松ノ木町は、軍人町と異称されるほどに、兵隊さんの多く住む町でした。それも将校や下士官ばかりが多く、兵卒なんていなかったように思います。私の父は、尋常小学校時代、級友と教室での悪ふざけが原因で左足を強打し、悪化してしまい、やむなく片足切断という不遇を被りました。ですから、徴兵にとられることもなく、こんにちまで、母親と仕立てもので生計をたててきたしだいです。私自身、小学校時代という幼いころではありましたが、当然学ぶにつれ遊ぶにつれて、軍国色で統一された毎日でした。教室でも、陸軍中尉の子息が級長として、最右翼の席を指定され、曹長や軍曹の子が列長として、各列の最後列にいたものでした。わたしは中程度の体格ではありましたが、遊ぶときなど、常に最後尾に並ばされ、父親同士の優劣が、子供同士の戯れ事にもそのまま影響していたわけです。だからと申しまして、父を恨んだことなどありませんが、悔しい思いはひとくちでは申し上げられません。仕立て屋の子でも、いつか立派に死んで、お国のためにお役に立てると信じて生きてまいりました。だからこそ私は、他の級友より先に少年飛行兵を志願し、誉高い特攻服に身を包んでいます。その事実が嬉しくてたまりません。
父の名は、松島千代吉、母の名は松島キクと申しまして、おしどりを超えたような夫婦仲でした。その両親のもとを離れ、航空隊に訓練生として三年余り。まさか遠い東京の母と、出撃前日、富屋食堂で数時間過ごせたなんて、無上のしあわせと心得ています。親子として、共に生きてきたことに胸を張り、どんな友達にも負けないほど心豊かな毎日でした。その父の姿が、母の笑顔が、流れゆく白雲のその先に・・・・。


六月十日

午前十時。
私は日課時限にしたがい、整備室で内燃機関の点検に従事していた。通用口より、「松島伍長はいるか」、軍務付少尉の声に即答した。即座に駆け寄り申告するや、
「一時間後の午前十一時、松島伍長は大隊長席に集合せよ。軍服にあっては一装用を着用し、洗顔などを済ませ、五分前に軍務班長の指示をうけよ。時間厳守を忘れるな」
私が復唱するまもなく、軍務少尉は私の腰を軽く叩き隊本部へ去った。その指示がなにを意味するか、どんな覚悟を要するか、畢竟、そのことのために私は知覧にいる。だが、言いようもない感情が全身を支配している。正直嬉しくはない。悲しいとか怖いとかそのような思いもない。ただ呆然とした放心状態とはこんなさまだろうか。自分が立っているのか、しゃがみこんでいるのかそれすらわからない。整備の古参兵殿たちが、「よかったなあ松島、しっかり任務を果たしてくれ」と両手を握られ肩を叩かれ、激励を受けた。
「そうなんだこの時のために生きてきたんだ、日ごと、訓練を重ねてきたんじゃないか」
やっと自分の意識が戻った。
「これで帝国陸軍に、自分を認めてもらったのだ。大人の兵士と同列に並んだんだ」
そう思えて、かすかな安堵感が湧いてきた。私を導いてくれる愛機が、ふと父にも母にも見えてきた。今まで感じたことのない家族同然の飛行機だったことを、いまさら体全身で感じた。きっとできる、きっと叶えられる。武運長久、おまえとならば・・・・。

午前十一時。
「第56震武隊 木村少尉他五名、命令により集合しました」
「ご苦労である。ただいまから大隊長より特別な命令が下される。それでは」
「大本営からの命令により、木村少尉、沼沢少尉、瀬沼曹長、山崎軍曹、大野伍長、松島伍長以上六名は、明十一日午前七時、特別攻撃隊として、沖縄洋上へ出撃を命ずる。・・・日本中が武運を見守ってくれている。武功をあげて大御心を安んじ奉るよう。あとは中隊長の指示により行動せよ。以上」
「このあと十一時三十分から会食とし、記念写真が終わったら公用外出を認める。帰隊時間は午後七時、遅れるな」
こうして私は任務を授かった。私ら六名は、仮会議場に移動し、手厚いもてなしにあずかった。お国自慢も飛び交うような雰囲気のなかに、互いに顔を見合わせながら食事した。米飯、豆腐汁、鶏肉と野菜類のお煮しめ、鯵の塩焼き、タクアンがならび、食後の後口にと、西瓜も添えられている。いつもの炊事軍曹殿たちが、無言で煮炊きしてくれたのであろう。武骨な兵隊社会の送別の宴が、質実な祝福として、深く身にしみている。私のような最年少の兵でも、一人前として崇められている。心のなかで、「私はやりますよ、やり遂げてみせますよ」、そんな不確実な自信だけは旺盛だった。
その宴も終わると、写真を撮った。そしてその写真は、東京の両親まで、手紙とは別封にして、送り届けてくれるよう以来した。父さんや母さんに会いたい、顔や声や姿を、そして温もりを、自分の全身に焼き付けておきたい。そんなどうにもならない欲しがりがまぶたの裏をぬらせる。もう私が果たすべきことはなにもないのか、明朝まで心の整理を済ますだけなのか。そんな気持ちでたいていの葉桜に目を細めたとき、
「松島伍長面会だぞ、東京からお母さんがまいられた、直ちに歩哨待機所へ向かえ」との伝令を受けた。
エッ、まさか、母さんが東京から来てくれたなんて。父さんも一緒だろうか、そんなことはない・・・・。一目散で向かった。

母さんがいる、確かに母さんがいる、この知覧の飛行場に母さんがいる」、信じられるも信じられないもない。現実に母さんがいた。私は、母さんに近づいた瞬間、両手を握られた。挨拶めいた言葉はでず、
「母さん喜んでください。明日出撃ですよ、初陣なんですよ」
自然にでた言葉だった。
「そうなの、金ちゃんの初陣なんですか。間に合ってよかった。さきほど知覧に着いたばかりで、本当に間に合ってよかった」
「父さんはどうしました。町田の政次郎叔父さんの所ですか」
「そう、あそこなら安心だからね。本当は母さんより父さんのほうが、金ちゃんに会いたかったでしょうに」
母は少しやつれ、一年前より確実に痩せている。しかし、それは誰だって同じだろう。でも、笑顔は変わらず美しかった。間違いもなく自分の自慢の母がここにいる。東京は空襲が続いていると聞く。よくぞこの知覧まで来れたと思う。
「東京から遠かったでしょう。九州は始めてじゃないですか」
「運良く門司港までの普通列車に乗れてねえ、門司で一泊してから、乗り換えて鹿児島まできたのよ。さすがに遠かった」
「今日は外出ができるんです。少し町を歩いてから、特攻おばさんのいる富屋食堂まで行きましょう」
私は母に、これまでのことを全て話しておきたかった。甘えたくもあった。母の前なら泣いてもいいと思った。母よりも優しく、母よりも大きな神や仏はいない。

この知覧という町、遥か悠久の南北朝時代、南朝方の武将、知覧又四郎が足利尊氏軍に敗れ、この地に逃れ、居館して根づいたという。その後、長い歴史を経て、薩摩武士の縁をとどめた。風情豊かな屋敷町界隈が、私のような若輩者にも、心に安らぎを与えてくれる。母も遠くまで訪ね来たかいがあったようだ。私にいくども、「いいとこね、いいとこね」と心底喜んでくれている。木立で生まれた六月のそよ風が、街角を抜け、川面を撫で、柳の枝に寄り添い、穏やかな午後のひとときをそっと奏でてくれている。

小さな小さな町だからこそ、母と子の再会の地として、限られた「僅かな時間の贈り物」を過ごすのに、ふさわしい惜別の町だったことだろう。

午後三時、富屋食堂二階。
私は母さんに、この三年余りのことを色々話すつもりでいた。そして父さんのこと母さんのこと、さらに級友たちのことや松ノ木のことなど、なんでも聞きたかった。だが、私も母も案外口が重く、あれもこれもと話がきりだせない。階下から、食堂の女将さんで、我々飛行兵たちの第二の母、鳥浜トメさんがお茶の給仕に参じられた。
「おじゃつたもんせ、鳥浜です」
「母さん、こちらがいつも僕らにやさしくしてくれる、特攻おばさんですよ。おばさん、私の母です」
「息子がお世話になっていること、手紙で承知しています。明日飛び立つことになりまして、間に合ってよかったです。奥様がおられなかったら、この子には耐え抜くことなんてとうていできなかったかもしれません。お礼を申します、有難うございました」
「うんにゃあ、たいしたお役にゃたっておいもはん。じゃっどん、こいげなことめったにいえもはんどん、腹んなかじゃこげなむごか戦争なんか、はよ終わらんもんかとおもちょっですよ。そいならあとで、ウドンでんないでん持ってきもんで、お母さんも松島さんもゆっくいしていっきゃんせ」

鳥浜トメにとって、松島金之助は何人目の特攻兵だろうか。こんなことがいつまで続くものか。いつになっても見えぬその先を、力なく向き合うだけしかない。

「ねえ母さん、あの特攻おばさんに母さんの面影を見つけることはできませんでしたが、やはり気持ちの支えでしたよ」
「金ちゃんも大人になりましたね。やっぱりいつか子供は、親離れしていくんですね」
「母さんお茶をいただきましょう。知覧はお茶どころなんです。その銘茶を枕崎の駒水で湧き出た名水で飲むんですから格別です」
家族三人で、丸いちゃぶ台を囲んでいたころを思い出す。なにもかも写真を見ながらのように鮮やかにあのころを取り戻せた。
「金ちゃんに渡したいものがあるのよ。父さんがね、男同士の心意気だなんていいながら、素早く縫い上げたんですよ」
リュックから、七分袖の肌着、サラシの腹巻、下帯を並べ、そして大宮八幡の御守りを添えた。純白の三つ揃いに朱塗りの魔除け。
「これを父さんが、私に身に付けて飛びたてとおっしゃったんですね」
母さんは何度もうなづいた。大声で泣けるものなら泣きたい、大声で父に礼をいいたい。両の手で膝頭を握り締め、こらえた。涙だけは止められない。声を詰まらせながら、
「父さんに、いい贈り物だったと伝えてください。そして明朝、しっかり締めなおして乗り込みますと」
ひとつひとつを手に取り、生地を掴むように触った。どういうことだろうか、私は子供のころからよく聞かされた、吉良邸への討ち入りを連想してしまった。義士たちのなかで、父親の無念まで背負った、足軽の矢頭右衛門七のような気分を感じている。純白の布地が、喝采極まる雪舞台と重なる。あの仮名手本のようにいくわけもないだろうが、せめて大空の下、松島伍長ここにあることを。

そして母さんは、水筒と湯のみを取り出した。
「この水筒にはお酒が入っているんですよ。父さんがお酒をこの水筒に移してね、この湯のみで飲みました。そのときのままで持ってきました。父さんと酌み交わしたつもりでいただくんですよ」
「別れの盃ですか」
「門出のお祝いの盃よ。金ちゃんはまだお酒になれてないでしょうから、口を少し濡らしてくれればそれでいいんですよ」
父さんが飲んだ湯飲みをそのまま持参してきたのだから、父さんの祈念が込められている。この瀬戸物だって見覚えがある。そう思いひとくちふたくちと口に含み、飲み干した。酒なんて飲みにくいものだが、喉や内臓を締めつける感覚は、大人たちが騒ぎながら回し飲んでいる様子がわかるような気がする。
「父さんはね、金ちゃんに命より名前が大事だと伝えてくれとおっしゃっていましたが、母さんはそうは思わない。普通に嫁さんをもらって、子供ができて、孫と一緒に暮らしたかったですよ」
だが、今の私の年では想像もできないことだった。腕白時代の級友たちよりも早く軍服を着たかったし、仕立て屋の子でも軍人の子より軍人らしくなりたかった。そんな反感や反骨だけが自分を支えてきたからだろう。
「ねえ金ちゃん、この赤い肩掛け母さんに似合うかしら」
母さんが、冬の襟巻きのようなものを首に巻いている。しかも、派手すぎる赤いものだ。
「どうしたんですかそんなもの。しかも季節が逆じゃあありませんか」
「もちろん今は巻いていませんよ。でも寒いときなんかときどきこうして巻いていたんよ。少しは若返って見えるでしょう」
エーまあそうかもしれませんが、その赤い色じゃあ、在郷軍人だの愛国婦人会だのと睨まれませんか」
「大丈夫よ、堂々としていたら案外平気なものよ」

振り返れば、赤いものなんて見たような記憶がない。日章旗を除けば、せいぜい西瓜か梅ぼしていどのもので、ましてや身に纏うもので、真紅に染まるおんな色なんて、身近なことでは無縁だった。鮮やかなまでに脳裡を焦がす、灼熱炎上の色。その残影は、まぶたから消えることはない。

私は隊に戻り、三角兵舎で、手紙を書いた。まだまだ語りつくせぬことをしたためた。今夜は眠れるはずがない。声を押し殺してすすり泣くにきまっている。だが、泣き疲れすべてを諦められたならば、眠りつくことができるかもしれない。


六月十一日

午前六時四十五分
木村少尉他五名は、滑走路北側に横隊で整列した。そして六名と運命をともにする零戦六機も、爆弾を装備して、整備兵と並んで東側に駐機している。滑走路から離れた西側演習場に、上官や後続残留の兵士全員が、すでに二列横隊で整列を終えている。そしてその南側に、地元民間人が多数集まり、見送ってくれている。私もちょっとした隙に母さんの姿を求めたが、注視する余裕もなく、とうてい見つけだせない。
大隊長から特攻兵全員の階級、氏名が呼ばれ、「日本国中が武運を祈っている」というはなむけをいただいた。出陣の盃を順に貰い、最後に私がいただいた。
「松島伍長で、この知覧飛行場から四百二人目の特攻兵士となる。若い人というのは純粋で素晴らしい。いいか松島、どんなことがあっても振り向くな、振り返ってはならんぞ。まえを見続けろ、きっとなにかが見えてくるはずだ」
大隊長は涙をこらえていたと思う。わたしもそうだったから。気持ちで応えた、
「松島伍長行きます」

午前七時丁度。
私は機内にいる。一機ずつ滑走路から離陸していく。見送る誰もが、帽子を振り、手を振って送ってくれている。六番目のそのときがきた。だが、どうしたことか、両眼が霞む。力を込めまばたきし、滑走路に入った。エンジン全開、滑走開始。そのとき右目が、赤い肩掛けを首に巻くモンペ姿をとらえた。
「母さんだ、母さんがいたんだ。昨日見た赤い肩がけを巻いている。そうかそうだったのか、自分の姿を印象づけ、目立てさせるために、わざとあんなことをしてみせたんだ・・・・」
すでに機体は離陸よしの状態だった。私は右の平手で、力いっぱい機体を三度叩いて応えた。母さんが走って追いかけてくるのがわかった。
「母さんごめん、振り返るわけにはいかないんです。振り返れば人と大地に未練がのこるんです。このまま行かせてください」
六番機も離陸した。母親も立ち止まった。松島キクは、涙声で叫んでいる。
「金ちゃん金ちゃん、金之助・・・・戻っておいで。母さんのところへ戻っておいで」
南の空へ上昇する六番機も、両翼を上下に揺らし泣いている。

六名の神兵たちは、与えられた命令が、唯一無二の名誉と信じて、祖国の山河同胞に別れを告げて行った。
そのひとり、松島金之助。東京都出身、昭和二年七月十七日に生まれ、昭和二十年六月十一日に没する。
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2007年07月10日

7月10日 ショートストーリー9 遠い日の晩夏

通信      チトフナプライベート書房
送るひと    町頭 幸三
だい      ショートストーリー9「 遠い日の晩夏 」



鹿児島県星空市。東シナ海を臨むこの町は、日本の南の終着駅として鉄道ファンの注目を集めている。JR鹿児島中央駅から黒潮西線(くろしおさいせん)で2時間30分。海沿いを時速最適キロメートルで、車体をきしませながら、南へそして西へ向かう。水無月も中旬の夕刻6時9分、二両編成の黒潮西線パートU海っ子2号は、星空駅の無人ホームに到着した。白いボディーにブルーラインなんて、東京神奈川間の小田急線を連想させる。
私は東京都狛江市から一時帰省し、もう十七日目を数えている。東星空十番地という町名番地の四回自室の上げ下げ窓から、西日に照らされたホームを、このところ毎日見ている。この時刻の列車なら、多い日で10人前後、少ない日なんて3〜4人だったろうか。それも、老人や男子高校生が目だっていた。まばらな乗客の黒潮西線を、人体に例えるなら、足のつま先を流れる血管にも似た、日本の最末端のローカル線といえる。さびれかけた南日本の終着駅の、寂寥感を感じていた。それが今日に限ってどうしたことだろうか。いずれも浴衣姿で、十台半ばと思われる女性二名が、ローカル列車から降りて、熱っぽく語り合いながら、ホームを歩いている。もちろん会話が聞き取れるはずもなく、ただ涼やかな浴衣の夏の装いに見取られ、妙に行き先が気にかかる。
二人は仲のいい姉妹なのだろうか。二人とも同じ絵柄で、白地に赤と水色の花模様が染めぬかれている。季節的に朝顔ではと思うのだが視認できない。盆踊りにせよ納涼花火にせよ、時期がまだ早すぎる。二人はホームを離れ、中世ヨーロッパのアムステルダムのたたずまいをイメージしたという赤レンガで整えられた駅舎を出てくる。私の真下を通り、北へ去り、二人の姿はすでに見えない。下駄の響きだけをかすかに残しながら。
浴衣というと、これからの季節の風物詩であるばかりでなく、和的ななにかの芸ごとの稽古着のほか、夏場の寝巻としても重宝このうえないものだ。
その浴衣なのだが、あんなことがあってからもう45年になる。揺らめく陽炎のような、なんとも不思議な思い出であろうか。そして今でも、セピア色に変色した、モノクロで写されたライカ版の二枚の古い写真を大事にしている。その写真は・・・・。


私の父は上野小太郎といい、昭和37年8月、複雑な内臓の長患いで私立病院の病床にあった。私は中学一年生の夏休み期間中でもあり、自宅と病院の往復が常だった。入院当初まだ元気そうだった父も、ここにきて生気を失い、口数も少なくなってきている。そしてその父が、私を説き伏せるように話し出した。
「なあ誠二郎、お前だけに頼みたいことがあるんだ、頼みを聞いてくれるよな」
「ああ、でも俺でなきゃだめかい。かあさんや正一郎兄ちゃんじゃあいかんのか」
「ああ、いかんのじゃ。お前のツラでねえといかんのじゃ」
父には妙に切迫感があり、なにか私にすがるような気持ちが伝わった。
「ああなんじゃろ、どげんすればよかじゃろ」
「いいか二人だけの内緒話じゃ。簡単なことであって難しいことなんだが、父さんが着る浴衣を買ってきてほしいんじゃ。高台の仰星本町に、フジイという呉服屋さんがあるのを知ってるじゃろ。そこへ行って買ってきてくれ。だけどじゃ、ご主人とか、店員さんとかから買ってはならん。必ず奥様から直接買わんといかんぞ。わかったな」
エッ、いなかったらどうする」
「そんときゃ出なおせ。父さんの身体は、160センチの57キロと言えばよか。色とかガラとか、なんでんよか。そしてこう奥様にお願いするんじゃ。一度でいいですから、奥様に袖を通してください。通していただいたあとで、買います。とな」
「そんなこと言えるわけがなかよ」
「そこを勇気をだして言うんじゃ。こんなこと頼めるのは、誠二郎お前しかおらん」
怖い顔になった父にかなうわけがない。私は、渋々うなずいた。
「5千円ある、足りるじゃろう」
父は私に千円札5枚を手渡した。初めて手にする大金だった。百円札が急に小さなお金に見えた。
病院から呉服店まで約2キロ。急いだ。


仰星本町のフジイ呉服店。直近まで来たものの店に入れない、入りづらい。ただ浴衣を買うだけならたやすいことなのだが、おまけなことがついている。こんなこと予行演習のしようもなく、ただうまくいくことをなにかに祈り、正直にお話するのみ。おそるおそる店内に・・・・。
畳を敷いた広い座敷があり、若い女の店員さんが、客であろう年配の奥様らしき女性と話していた。私は口が動かず、棒のようにたっていただけ。
「いらっしゃいませ、なにか」
と、声はかけられたものの、私は言葉が出ない。それでもどうにか
「あのう、ここの奥様に・・・・」
いぶかしげな顔で店員は私を見て、「奥様にご用なの、なんの用なの」と聞き返した。私のような中学生が客に見えるはずがない。それでも用があることだけはわかったのだろう。店員は、奥に通じる暖簾を押した。
同時に奥様とわかる女性が現れた。着物姿ではなかったが、お化粧をした小奇麗なひとだった。たぶん父とは同世代ではなかろうか。
「僕はなんの用なの」
やはりいぶかしげに聞かれたものだ。もう正直に話すしかない。
「あのう、父親の浴衣を買いたいんです。浴衣だったらなんでもいいんです。160センチの57キロです」
「アラアラそうだったの、いま用意しますからね、そこにおかけなさい」
やさしくうながされた。
「そうね、Mサイズでいいでしょう。いくつかあるけど・・・・」
奥様は、棚からビニールの袋にはいった涼しそうな浴衣を三種類見せてくれた。
「どう、お父さんはどれが気にいってくれるでしょうね」
私は恥ずかしかった、苦しかった。それでも父のためと思い、
「あのう、父が・・・・、奥様に袖を・・・・袖をとおしてもらってから買ってこいと言っていました」
「エッ・・・・」
「・・・・すみません」
私は小声で誤り、下を向いた。奥様は私の顔をしげしげ見つめ、
「ねえ僕、僕のお父さんの名前はなんておっしゃるの、おうちはどこなの、おばさんに教えて」
なにかを諭されているような気もしたが、なにか訳ありのようなものを感じてもらえただろうか。
「東星空十番地の、上野小太郎といいます」
きっと私の父を知っていたと思う。奥様の顔に微かな笑みを感じとった。
「アラアラそうなの、それでお父さんはおうちで待ってるの」
「いいえ、市立病院にもう長いこと入院しています」
ボソボソと応えるのが精一杯だった。奥様は何かを感じてくれたのでしょう、私をかばってくれるように、
「僕は靴を脱いで冷たいジュースでも飲んでいきなさい。さあ上がって」
思いがけないことだった、私を迎えてくれる。もううんと恥ずかしく照れくさいことだったが、いわれるままに。お店から中にとおされ、台所のある畳の部屋にきちんと座った。奥様は冷蔵庫からサイダーを取り出し、栓を抜き、コップに注ぎ、丸いちゃぶ台に置いてくれた。
「これ飲みながら待ってるのよ、すぐきますからね」
そう言い聞かせ、浴衣のひとつを手にし襖を開き、奥へ消えた。サイダーが冷たかった。家庭の電気冷蔵庫なんてはじめて見て、その冷蔵庫で冷やしたものをはじめて飲んだ。炭酸が喉を締め付けるように刺激する。なにか目の奥まで刺激されたような気がする。5分ぐらい過ぎたろうか、襖が開いて、浴衣を着た奥様が立っている。私には、テレビで歌う橋幸夫のような絵姿が連想された。母には見られない凛とした着こなしで、その世界にはまった姿を見た。いなせな着こなしなんて、こんな様子をたとえるのだろうか。
「もう少し飲んでって、おばさんもいただくから」
こうしてさらに10分程度おじゃましたろうか。私には兄がいて、中学一年であること、そして父の病状について、聞かれるまま応えた。
「おばさんも少し汗かいたみたいだから、襟元にお花の香りをつけといてあげるね。またここで待っているんですよ」
奥様はその浴衣姿で奥の部屋へ。白地に青色の扇をいくつも散りばめた、舞台の衣裳で見るようなものだった。女性なのに、角帯というんだろうか、男ものの帯姿でさえサマになって似合っていた。そして病室の父の様子をふと思い浮かべたとき、奥様が戻られた。はじめの洋服姿で戻り、浴衣をたたみなおし、ビニールの袋におさめ、紙袋に入れて私に渡した。
「いい僕、さっきおばさんが着た浴衣がはいっているから、お父さんにわたして。お金はいいから、早く元気になって退院してくださいと言っていたと伝えてね」
「エッ、お金はあるんです」
「いいのよ、おばさんからのお見舞いよ。帯も入れといたから、すぐお召しになれますよ」
私はこれでいいのかと迷った。でも、そんなふうにおっしゃるのだから、そうするしか。奥様にもせかされ、一例だけしてお店を出た。夏のヒリヒリするような日差しも和らぎ、たそがれ前の穏やかな潮風がにおい、沖にそびえ立つ立神のお岩も、岩戸のお山も赤く染まりはじめている。肩の荷も胸のつかえも降りたのか、足取りも軽く病院へ。 

父の待つ215号室。父の耳に私の弾んだ足音が聞こえたろうか、予感がしたのだろう、父は私が帰り着くことがわかっていたかのように、ベッドに正座しながら迎えた。そのときの私の顔は、満面の笑顔だったはずだ。父も笑顔だった。私は袋ごと渡し、
「ちゃんというてきたぞ、きれいな奥様じゃった。浴衣を着てくれてな、一緒にサイダーまで飲んだぞ」
と、誇らしげに伝えた。父も私の両肩を掴み、「ようやったのう、ようやったのう」と、褒めてくれた。
そしてそのときのことを、一部始終話した。要領を得た話し方ではなかっただろうが、覚えていることの全てを話した。父は浴衣を膝の上に置き、何度も何度も指で撫でるように触りながら聞いていた。無愛想でぶっきらぼうな父で、オセンチな表情など似合いもしない男だったが、涙を目にためている。奥様からのお見舞いだからといわれ、いただいたことを話した瞬間、こらえきれず声と涙があふれた。
私にはそのときの父の感激のすべては計り知れないが、あの綺麗で上品な奥様に寄せる思いがあることはわかっていた。これ以上この病室にはおられない。帰ることを告げ、ドアのノブに手をかけたとき、誠二郎ありがとう、金は好きに使え」と声がかかった。ズボンの後ろポケットにしまったままのお金をまだ渡していない。ただうなづき、ドアを閉めた。殺風景で消毒液の染み込んだ病室も、今だけは、大人の香水がささやくように揺らめき誘いかけている。どこか遠い国の、髪の色の違うひとたちが暮らし、十二色に咲いてかぐわしい花園のような・・・・。

そして二日後、お医者さんから、「家族や親戚は集まりなさい」との連絡があり、母と兄と私、そして叔父が揃って病室に。父はいびきをかいて眠っていた。あの浴衣を着ている。私は毛布の中に手を入れ、腰の帯を確かめた。しっかりとあの角帯を締めている。母は浴衣についてなにも不自然に感じていない。病院からのサービスぐらいにしか、感じていなかったのだろう。私は少しばかり優越感を感じた。
カメラ好きの叔父が、父の寝顔と、家族三人での写真をとってくれた。もう長いことはないのだろう。どんな夢を見ていることやら。自分だけのいい夢を見てくれ。
そして翌日、息を引き取った。死因は膀胱ガン。8月29日の夕刻のことだった。

いま私はこうして生まれ故郷にいるが、あまり外出していない。だから詳しい町の様子もわからない。仰星本町の今の様子もわからないが、20年前、あの呉服屋さんの前を歩いたとき、お店はすっかりおしゃれに立て直され、あのころのよすがはない。当然代替わりしたのだろう。
わたしは二人兄弟で、兄は母親似、そして私は父親似で、父親の顔のコピーなんて揶揄もされた。あのとき、兄が父親似であったなら、兄がその使いを頼まれたのかもしれない。
私も扇散らしの浴衣があれば着てみたいものだ。そうそう、葬儀屋さんから、「お召し物ヲを取かえましょう」とうながされたが、私が拒否した。トンボの絵柄の浴衣だった。だってあの奥様からの、大事な大事な贈り物だったから。あの浴衣に勝る旅立ちの装束はなカッタハズダ。
あの奥様がご壮健でいてくれれば、ただひたすら嬉しい。年を重ね重ねて、すでに傘寿を過ぎておられよう。
粋なお取り計らいをありがとうございました、富士井礼子さま。


posted by さっぜさん at 13:33| Comment(1) | TrackBack(0) | 趣味のペン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月13日

ショートストーリー8 「柳生宗矩(やぎゅうむねのり)と沢庵」

この話は遠い過去、ほんの一部を人づてに聴いたものを原案に、全て作者が創作したものです。

通信   チトフナプライベート書房
送る人  町頭 幸三
題名   ショートストーリー8「柳生宗矩(やぎゅうむねのり)と沢庵」


江戸場内、将軍謁見の広間

「上さまのお成り」
「柳生ムネノリ、沢庵、くるしゅうない、おもてをあげい」
「ハハッ」
時に両の者、剣の道、悟りの道において、この国の双璧とみた。そこでいずれが勝るものなのか、この家光、勝負が見たい。座敷牢に虎を放つゆえ、それぞれ虎と対峙し戦ってみよ。太刀や槍など用いてはならん。究極の剣技と究極の説法、いずれが虎を制するか見ものじゃ。ムネノリの存念を聞こう、いかがじゃ」
「ハハッ、このムネノリ、沢庵殿には人の道などなにかと教えを受けている身、とうてい及ぶものでわございませんが、上様の申し出ならばもとより異存はありません」
「沢庵はいかがじゃ」
「ハハッ、恐れながら上様に申し上げます。仏の道につかえる者なれば、争いは仏の道の外と心得ます。しかしながらこれは、人と獣との出合いのようなもの。暫し戯れてみましょう」
征夷大将軍直々の君命なれば、山よりも大きく、大石より重い。
狂気とも思われる上意を仰せつかった。天下泰平の気運は盛り上がり、天下人家光のの退屈の虫を封ずる趣向とはいえ、余りに冷酷非情。これが将軍家剣術指南役と、この国一とうたわれる高僧への、避けようのない試練なのか。
近侍の老中から、「日付は明後日、時刻は巳の刻とする」の示達あり。


その日時その時刻、場内は静まり、幕府重臣一同は戦慄の極限にあった。その多くが、
「柳生は丸腰で朝鮮虎をしとめる気か。いかな柳生とて無謀じゃ」
とのささやきだけが聞こえていた。
ムネノリは一人書院に控えその時を待っている。
「柳生ムネノリ殿、奥へ参られい」
召し出し役の呼びだしと同時に、かみしもを置いて奥へ進んだ。襖が開き、見届け人の幕閣たちには目もくれず、鉄格子の檻(おり)の中へ。周囲は凛然とした気配に包まれ、その幕閣たちの後方の御座所には、太刀持とともに家光のおしのびの姿があった。顔を覆う頭巾のなかから、両眼が爛々と光リ、タッタ一人の武士ダケヲミスえてイル。ムネノリの顔面は蒼白し、眉間には立てじわを寄席、剣鬼(けんき)の形相そのものだった。眼光の険しさは、千里の道まで凝視するかの如く燃え上がっている。ムネノリの殺気と身構えに幕閣の誰ひとり口も開けず身も動けない。あぶら汗だけが、胸と背中を伝う。閉じた襖戸ノ裏から、百獣に君臨する虎のうめく声が低く低く聞こえ、その荒々しい鼻息と落ち着かず動きまわる足音が身もこおる恐怖となって襲いかかる。ムネノリ自信、虎など見たこともない。びょうぶ絵の中で、山奥の竹林で吠えるたけだけしい獣の姿しか存知えない。
襖が開き大虎が放たれる気配を感じたのだろう、ムネノリは腰の鉄扇を抜き、斜め正眼にひしりと構えた。わずか一尺足らずの鉄扇ながら、その威圧力は兜でさえ両断する大刀の如くなり。その瞬間、竹林を描く襖が左右に開き、鉄格子の扉も開いた。まさに大虎だった。虎は檻を離れムネノリに向かう。その距離三間。猛獣は鉄扇を構えるムネノリを眼前の敵と見た。ムネノリの不動の気迫が、戦いを挑んでいることを猛獣は即座に感じ取っていることは明白。獣の戦う本性が、猛獣の闘争本能を勢いづかせる。生きていくために獲物を襲い、生きていくために獲物を食う。野生に生きる野獣のしきたりのまま、牙をむき出し、右前足を上げ吠えかかる。
「飛びかかるぞ」、見届けの幕閣の誰もが息を呑んだ。
瞬間、ムネノリはそのままの構えで、鋭く一歩前に進んだ。両の眼光は、烈火の如く燃あがり、眼力は、虎の両眼を突きぬけ脳天を突き刺し、臓器まで貫いた。この恐れを知らぬ密林の王に、戦慄がはしったか。足が止まった。巨体が右へ左え。獣の眼はムネノリを捕らえ、瞬時の隙と同時に襲うは必定。獣は二歩迫り、ムネノリは半歩進んだ。僅か八畳余りの戦場のまあいが詰まる。鉄扇の切先は、獣の小鼻から逸らさず、急所一撃の身構えは微動だにしない。ムネノリの鬼さえ震えさす気迫か、百獣を制する猛獣の肉迫(にくはく)か。獣は二度三度前足を上げ、牙をむき出して、うなりをあげる。だが、ひるむムネノリではない。修羅をも斬り砕くムネノリの殺意満々の形相は、獣を超える獣に化身していた。この静かで凄まじい戦いは、四半時に迫ろうとする。
「おっ、虎が眼を逸らしたぞ」
幕閣たちは、汗で濡れた両の手で思わず袴を握りしめた。片足を立て、身を上げようとするも、硬直した五体は動かない。無敵で君臨してきたであろうこの獣が、尾を下げ、首を振った。やがてその巨体は首を下ろし、ゆっくりと振り向きながら座敷牢を出て、元の檻に戻った。ムネノリの殺気血走る両眼は、その眼で既に獣の頭蓋を斬っていた。襖が閉まり、安堵の生ぬるい空気が、俄戦場に漂ったろうか。
「ムネノリ殿、でかした、ムネノリ殿が勝ちもうしたぞ。見事じゃ見事じゃムネノリ殿」
以外にも、最長老で一番の気弱と思われがちだった勘定奉行がせきをきったものだ。将軍ながら、剣の師と仰ぐムネノリの奥義と技量の深さ大きさに、家光の両眼が濡れている。ひたいから流れた汗なのか、胸の奥までまで切り裂かれるほどに共感した感涙なのか。それはもとより後者のはず。溢れる涙は、頭巾の下で頬から口元へ熱く伝っていく。
鉄扇を腰におさめたムネノリは、心を整え、礼式どうり作法をすませ、無言で書院にさがり沙汰を待った。
「ムネノリの去った広間の一隅で、
さすがわ柳生じゃ、ムネノリ殿じゃ、あれが噂にたがえぬ柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)の無刀術じゃ」
ざわめく声は、江戸城を飛び交うすずめの群れのように弾んでいる。

ことの詳細は、茶坊主によって別書院で控える沢庵に伝わる。沢庵の顔に安堵の笑みが浮かび、
「柳生ムネノリ殿こそ剣聖じゃ、比類なき柳生の剣は、徳川の世を磐石に支えるじゃろう」
沢庵は万感の思いでムネノリを讃え、黙して読経を続けている。


それから小半時

沢庵おしょう殿、奥へ参られい」
その時、柳生ムネノリは険しく、厳然とし何者をも寄せつけぬ厳しさに満ちていたが、この沢庵いつもと変わらぬ物腰。いや、むしろ穏やかな顔は祝いの席にでもよばれるが如くである。出入りの襖が開き、沢庵は居並ぶ幕閣たち、そしてその奥の高い席に、礼式にしたがい所作に及んだ。その沢庵の笑みさえ含む様相は、仏にも似たり。
「なんとしたことだ沢庵殿は、ことの次第がわかっておられるのか」
「「いかん沢庵殿がおかしいぞ、狂われたか」
ざわめきが起こり、幕閣たちは、顔を見合わせた。沢庵はその場で袈裟をおろし、帯を解いた。素早くたたみ終え、下帯だけの裸身となり立ち上がる。
「いかがいたした沢庵殿、これでは食われるを望んでのことか」誰からともなく、救いを求める声が。
「各々がたうろたえてはなりませんぞ。沢庵殿には沢庵殿の考えがあってのことかもしれ申さぬ。ましては上様のご面前ですぞ」
寺社奉行が膝を立て、気力で制した。家光も動かない。家光の胸を揺すり、頭をかすめるものは御仏へのわびか、償うための功徳か。もはや呆然と成り行きに委ねるのみ。
沢庵は、そのままの下帯姿で檻の中へ。鉄格子の扉が閉まり、かんぬきが入った。先ほど同様襖壁の奥から、虎の重量感ある低いうめきが聞こえてくる。身も凍りつくような絶望的な恐怖にさいなまれるはずだが、怯えるような素振りはない。並の者なら、檻の後方か両の隅に位置するものだが、この沢庵、檻の真ん中にいる。獣の鋭い嗅覚で、新しい生身のものが、近くに現れたことを感じたようだ。獣が動いた。
その不気味な足音が聞こえ、沢庵は、その足音に合わせるかのように首を縦に振り、つま先を立て身を動かした。瞬間襖が全開し、苛立つ獣が眼前に迫る。沢庵が両手を差しのべた。
「さあ、おじゃれおじゃれ、こっちへおじゃれ」
沢庵は村のわんぱくたちを招くかのように、満面恵比須顔で引き寄せた。
「ほれほれ、どうしたどうした、この沢庵と遊んでおくれ、きなされきなされ」
沢庵は両膝を曲げ、両手を広げ首を左右にふる。この獣に沢庵はどのように映ったろう。すくなくも危害を思わせる、敵獣と感じさせる生き物ではない。柔和に手招く沢庵の仕草に、さすがな猛獣も、不思議な妖術に陥ったのだろうか、そのままのそりと近寄った。近づいた獣の顔に自分も顔を近づけ頬を寄せたものだ。獣は前足を沢庵の両肩にかけ、長い舌で沢庵の顔面をなめる。沢庵の両手は、獣の頭やひたい、さらに顎を優しく撫で回す。獣は心地よい悦に感じたような吐息でこたえる。沢庵は両手を獣の首に回し、その場に横臥した。獣の巨体は沢庵を押しつぶし、それでも沢庵の顔から肩を胸をなめまわす。今度は沢庵が、横から上から獣の首を愛撫し、我を忘れてじゃれあう。下帯もゆるみ、男根睾丸(だんこんこうがん)あらわなるも、おかまいなし。
「見られい、沢庵殿は、赤子のようじゃ、赤子になり申した」
「虎が猫になった、飼い猫とおんなじじゃ」
沢庵の、この一切の邪念を振り払い、無心の境地で臨んだあるがままの自然体だった。幕閣たちは一様にあぜんとするばかり。
やがて沢庵は、立ち上がるようにしながら獣を檻の近くに誘い込み、見事檻に入れ扉を閉じた。またしても老奉行、
「沢庵殿も勝った、沢庵殿の心の広さが、大虎を猫に変えてしまったのじゃ」
「そのとうりそのとうり、愉快愉快」
幕閣一同は手をたたき膝をたたいて称えた。沢庵は取り急ぎ身支度をすませ、事の終わりを上申した。聡明さでその右に出る者なしとうたわれた自社奉行が、そのまま膝を詰め問いかける。
沢庵との見事でしたぞ、天晴れでしたぞ。どうかお答えくだされ。いかなる心境にして、あのような振る舞いに及べるものなりや」
「この沢庵、ただ心頭を滅却して臨んだにすぎません」
「いまひとつ、その心頭を滅却したことと、裸身とどのように結びつけられる」
「およそこの世の生き物で、衣をまとうは人のみ。衣があっては、この沢庵とて獣になりきれません」
「道理でござる沢庵殿、。さぞかしお疲れ申したろう。さあ、書院に下がり茶など一服めしあがられよ」
その始終を見届けた家光は、僅かながらうなずいた。自ら直々に呼び寄せねぎらうことはなかったが、深く感じ入ったことを老中から下達された。

柳生ムネノリに沢庵の一部始終が、茶坊主によりもたらされた。ムネノリに言葉はなく、ただ黙して平伏して動かなかった。勇者のみが知る、そのまた勇者への畏敬の念だったろうか。
このあと家光は、御前試合をを好まず、次期後継となる家綱の治世術を重視していった。

徳川葵十五代、剣の上に心を置き、剣の下にまた心を置く。
posted by さっぜさん at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味のペン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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